ISO/TC 43/SC 1での標準化活動と労働安全衛生への貢献例(聴覚保護具)
1.はじめに
私たちの社会には様々な「規格」があります。読者の皆様も「JIS 〇〇〇」といった規格名称を見たり聞いたりすることがあるでしょう。規格というのは、「もの」の仕様や「こと」のやり方などの統一的な基準のことで、そうした基準を作成することやそのプロセスを標準化と言います。社会がこれだけ複雑になり、また世界との結びつきが強くなっている現代では、あらゆる分野で標準化が不可欠となっています。
さて、皆様は、この標準化がどのように行われているのかをご存じでしょうか。規格があることを知っていても、また規格に適合した製品を使っていても、その作成のプロセスを知る機会は少ないのではないでしょうか。このコラムでは、筆者が2014年から参加しているISO/TC 43/SC 1での標準化活動を簡単にご紹介し、さらに、その労働安全衛生への貢献例として聴覚保護具の規格をご紹介させて頂きます。
2.ISO/TC 43/SC 1での標準化
あまたの規格の中でも知名度が高いのが、国際規格であるISO規格でしょう。ISOとは国際標準化機構(International Organization for Standardization)という組織の略称で、そのISOが作成する規格がISO規格です。2024年4月現在、ISOには日本を含む171の国/地域1)が加盟しています。
図1 ISO/TC 43の組織
ISOでは多種多様な分野の規格を扱うために、分野ごとに専門委員会(TC)が、さらに必要に応じてより専門化された下部組織である分科委員会(SC)が設置されています。ISOで音響学(Acoustics)に関する規格を扱っているのがTC 43で、そこにはTC 43本体に加えて、SC 1(騒音)、SC 2(建築音響)、SC 3(水中音響)という3つの分科委員会が設置されています(図1)。ISO規格の実際の審議は、TC 43本体の直下、および各SCの下に設けられたWG(作業グループ。扱う規格の内容に応じて設置される)と呼ばれる専門家グループが担当し、その構成員を"エキスパート"と呼びます。このエキスパートは当該規格に関する専門家たちで、各国から推薦された大学・研究機関の研究者、企業の研究者などです。筆者は、TC 43/SC 1のWG 17およびWG 67に参加しています。
日本からISOへの加盟標準化団体は経済産業省に設置された審議会であるJISC(日本産業標準調査会)ですが、具体的な規格審議は、TCごとに対応する分野の学会、工業会などに委託されています。ISO/TC 43の所掌規格の審議は日本音響学会に委託されており、同学会にはそのための組織として音響規格委員会、さらにTC 43本体および各SCに対応する下部組織の専門委員会が設置されています。これらの委員会の構成員は、前述のエキスパートとしてISOに登録された専門家たちです。実際の規格審議では、必要に応じて、委員会構成員以外の専門家に協力を依頼することもあります。
図2 ISO規格の標準化作業の概要
ISO規格の標準化の流れ2)は、大まかには図2のとおりです。まずNP(新業務項目提案)という段階から始まります。これは、どのような規格を作成/改訂したいのかという提案で、各TCまたは各SCの総会で審議されます。その提案が承認された後、規格の内容に応じて適切なWGに作業が付託され、規格の原形となるWD(作業原案)の作成、CD(委員会原案)への意見照会、DIS(国際規格案)の承認を問う投票、FDIS(最終国際規格案)の承認を問う投票へと進みます。この間、対面またはオンラインで何度も開催されるWG会議でのエキスパートの知見・研究データに基づく議論によって、そして時には審議のために新しく実験を行うことによって規格案が洗練されていき、FDISが承認されればIS(国際規格)として発行されます。NPから発行までの期限は36ヶ月以内とされています。各国のエキスパートのほとんどは自身の本務とは別にISO標準化にも参加しているため、その負担はかなり大きいものになります。また、ISO規格のような国際規格の場合、どうしても欧州や北米からのエキスパートが中心メンバーになることが多いため、遠隔地である日本から参加するのは費用や時差の面でも苦労(オンライン会議が日本の深夜の時間帯になってしまうなど)が多いのが実情です。
3.ISO 4869シリーズ(聴覚保護具の遮音性能の測定方法)
このように苦労の多いISO/TC 43/SC 1での標準化ですが、その成果は労働安全衛生にどのように役立っているのでしょうか。ここでは例として、筆者が参加している2つのWGのうち、WG 17を紹介します。WG 17は、ISO 4869シリーズ(聴覚保護具の遮音性能の測定方法)の作成/改訂を所掌しています。聴覚保護具というのは耳栓やイヤーマフなど、音圧レベルの高い騒音へのばく露による聴力障害を防ぐために作業者が着用する保護具のことです(図3)。その遮音性能(それを着用することによって、騒音ばく露量をどれくらい低減できるか)の測定方法を規定している規格群が、ISO 4869シリーズです。"シリーズ"と書いたように、この規格群はPart 1からPart 6(うち、Part 4は廃止)の5個の規格で構成されており、さらにPart 7を現在作成中です。このような規格が無ければ各メーカーが製造した聴覚保護具の遮音性能を客観的に評価し、比較・検討することができませんから、ISO 4869シリーズは労働安全衛生にとって非常に重要な規格群です。
図3 聴覚保護具(左が耳栓の例、右がイヤーマフの例)
ISO 4869シリーズの中で最も基本的な規格は、そのPart 1であるISO 4869-1:20183)です。これは、保護具着用時と非着用時の被験者の聴覚閾値(音が知覚できる最小の音圧レベル)を測定し、それらの差を遮音量とする方法を規定した規格です(2018年に改訂版を発行)。もう少し詳しく言えば、どのような実験室で、どのような実験音を使用し、また何人の被験者を使うなどの測定条件・手順が規定されています。保護具メーカーは、この規格に則って測定した遮音性能を製品パッケージなどに記載しているので、ユーザーはそれを見てどの製品を購入すればよいかを検討できるのです(もちろん、事前に保護具を使用する場所の騒音を測定し、どの程度の遮音量が必要なのかを検討しておく必要があります)。
もう一つの基本的な規格が、Part 2のISO 4869-2:20184)です。Part 1に従って聴覚保護具の遮音性能が測定されていても、耳の形や大きさは人によって異なるため、実際の着用時に隙間ができてしまって遮音量が規格上の値よりも低下することがあります。Part 2では、そのような点を考慮し、聴覚保護具着用時の実効的な騒音ばく露量を推定するための方法が規定されています(こちらも、2018年に改訂版を発行)。
4.ISO 4869-1、ISO 4869-2のJIS化
さて、ISO規格は国際規格なのですが、加盟国はその使用を強制されていません。日本がISOでの標準化に参加しているからといって、国内でもISO規格を採用しなければいけないというルールはありません。ただ、現実的には海外の多くの国がISO規格を採用しているため、科学技術の発展や企業の海外取引を考えると、日本が採用しなかった場合のデメリットが大きいのは事実です。そこで、ISO規格と同じ分野における既存JIS(日本産業規格)の改訂時、新規JISの作成時には、ISO規格と同一内容(国内の実情に合わせて一部変更は可)のJISを作成することが推奨されています。
ISO 4869シリーズの場合は、Part 1とPart 2がそれぞれJIS T 8161-1:20205)、JIS T 8161-2:20206)としてJIS化(ISO規格の翻訳版としてJISを作成)されています。筆者は、前者の作成時には最終段階でコメントを提出し、また、後者の作成時には作成のための委員会メンバーとして審議に参加しました。ここではJISの作成/改訂の流れは省略しますが、やはり年単位の期間を要するので、JISの標準化に参加する人たちの負担は大きいものになります。それはともかく、ISO規格のJIS化によって、ISOでの標準化は国内でも役立っているということになります。
5.おわりに
以上、筆者が関わっているISO/TC 43/SC 1での標準化活動と、その労働安全衛生への貢献例としての聴覚保護具の規格を簡単に紹介しました。標準化という仕事にご興味を持って頂けたでしょうか。標準化は表に出ることの少ない"縁の下の力持ち"的な地道な仕事ですが、社会的に非常に重要なものであることがお分かり頂ければ幸いです。
参考文献
- https://www.iso.org/about-us.html国際標準化機構(ISO)公式サイト(英文)(2024年4月30日参照)
- https://www.jisc.go.jp/international/iso-prcs.html 日本産業標準調査会(JISC)公式サイト(2024年4月30日参照)
- ISO 4869-1:2018. Acoustics — Hearing protectors — Part 1: Subjective method for the measurement of sound attenuation.
- ISO 4869-2:2018. Acoustics — Hearing protectors — Part 2: Estimation of effective A-weighted sound pressure levels when hearing protectors are worn.
- JIS T 8161-1:2020. 聴覚保護具(防音保護具) — 第1部: 遮音値の主観的測定方法.
- JIS T 8161-2:2020. 聴覚保護具(防音保護具) — 第2部: 着用時の実効A特性重み付け音圧レベルの推定.