職場におけるストレッサーの分類に関する研究
1.はじめに
人は労働を通して得た賃金で生活しています。また、労働は社会貢献ややりがいをもたらします。一方で、労働が過剰なストレスとなり、疲弊し心身の健康障害や労務管理上の問題を引き起こすことがあります。例えば、仕事ストレスは心血管疾患1や脳血管疾患2などの身体的健康障害の発症につながると考えられています。また、仕事ストレスがバーンアウト3、うつ病4などの精神的健康障害を引き起こすこともあります。さらに、仕事ストレスは労働者のウェルビーイング5やパフォーマンス6を低下させ、離職率を増加させる7などの労務管理上のリスクを生じさせます。このように、過剰なストレスを減らし人々が生き生きと働き続けられるようにすることは、とても重要です。
図1 労働の役割とストレスの影響
2.仕事ストレスの心理学モデル
労働環境とストレスの関連は産業衛生心理学の主要な研究テーマであり、これまで多くの心理学モデルが提案されてきました。仕事の要求度-コントロール-支援(DCS: Demand-Control-Support)モデルでは、仕事の要求度(量が多い、責任が重いなど)によるストレイン(ストレス反応)の増加を仕事の裁量と職場の支援が緩衝すると考えます8,9。つまり、要求度が高く、裁量と支援が低い場合にストレインが高まります。
バーンアウトの研究から確立されたモデルに、仕事の要求度-資源(JD-R: Job Demands-Resources)モデルがあります10。JD-Rモデルでは、仕事の要求度の高さが疲弊を介して心身の健康障害を引き起こすと考えます。同時に、職場の支援の不足がモチベーションの低下を介して、労務管理上のネガティブな結果に結び付くと考えます。また、DCSモデルで想定されているように、資源は、要求度の疲弊への影響を緩衝すると仮定されます。JD-Rモデルは、裁量と支援を「個人と職場の資源」という形で拡大し、健康阻害要因とモチベーション要因という2つの経路を仮定した点で、DCSモデルの発展型といえます。
要求度、資源、疲弊の関連をより詳細に説明するモデルとして、努力-報酬不均衡(ERI: Effort-Reward Imbalance)モデルがあります。ERIモデルでは、仕事に費やした労力(努力)とそれによって得られた便益(報酬)(金銭的な満足感、キャリア発達、尊厳、仕事の安定など)との不均衡が感情的ディストレス(苦悩)を生み、心身の健康障害を引き起こすと考えます11。労力は要求度と資源の交互作用により決まります。さらに報酬に対する認知的評価が加わり、心身の反応に影響を与えるという考えです。労働の結果によって、主観的な疲弊の程度は異なるという点を指摘しています。
最後に、疲弊からの回復に着目したモデルに、ストレッサー(ストレス要因)―ディタッチメント(SD: Stressor-Detachment)モデルがあります。他のモデルでも想定するように、人は労働を通して疲弊し、ストレインの状態になります。その状態から十分回復することで、ある程度のストレッサーにさらされても健康的で正常な状態を維持することができるという考えです。SDモデルでは、ストレッサーからストレインへの影響を、心理的ディタッチメント(仕事以外の時間に物理的・心理的に仕事から距離を取ること)が媒介・緩衝すると考えます12。
以上のように、多くのストレスモデルは、ストレッサーによりストレイン(疲弊など)が生じ、心身の健康障害に至るまでの経路を、個人や職場の要因が直接もしくはモチベーション要因を介して媒介・調整するという形式にまとめることができます(図2)。
図2 統合的なストレスモデル
3.ストレッサーの分類に関する研究-日本の精神障害に関する労災事案の分類
仕事ストレスをストレッサー、媒介・調整要因、ストレインに分けて理解する方法は一見わかりやすく、ストレッサーを減らす、媒介・調整要因を修正する、対症療法的にストレインを緩和する、といった対策が立てやすいというメリットがあります。しかし見方を変えると、現実はこれほど単純ではない可能性もうかがえます。例えば、仕事の裁量や支援は媒介・調整要因と考えられていますが、裁量度が低いことや支援が少ないことは、それ自体がストレッサーであると考えることもできます。また、心理的ディタッチメントも媒介・調整要因と考えられていますが、ストレッサーに分類される勤務時間の間のインターバルが少ないことや、休暇が少ないこと(連続勤務)、勤務時間外の業務連絡などとは、同一事象の表裏に過ぎないと考えることもできます。このように、ストレッサーと媒介・調整要因の区別は非常に恣意的であいまいです。このような概念的なあいまいさや測定の不安定さが原因で、心血管疾患や脳血管疾患の発症と仕事ストレスの関連に関する研究の結果は一貫性に乏しく1,2、関連が過小評価される可能性があります。
比較的新しい研究手法として、ストレッサー間の重なりや組み合わせに着目し、質的に独自の特徴を持つ類型を統計学的に抽出する試みが行われています13,14,15。このようにストレッサーの組み合わせを、データに基づいてボトムアップに抽出することで、これまでの理論に基づくトップダウン型の研究では得られなかった、新しいストレッサーの次元をとらえることができると期待されます。
私たちは、2011年に策定された基準16に基づいて、2011~2017年度に日本で業務による強い心理的負荷で精神障害を発症し労災認定された事案2,923件に関して、潜在クラス分析を用いて、業務による心理的負荷としての出来事の分類を行いました17。その結果、事案は主に、「(ひどい)嫌がらせ、いじめ、又は暴行」(233件)、「悲惨な事故や災害の体験、目撃」(221件)、「心理的負荷が極度なもの」(205件)、「極度の長時間労働」(198件)、「(重度の)病気やケガ」(137件)、「セクシュアルハラスメント」(100件)、「仕事内容・仕事量の(大きな)変化」(76件)が単独で認定されたものと、複数の出来事の組み合わせで認定された「恒常的な長時間労働関連」(598件)、「仕事内容・量の変化や連勤中心」(465件)、「人間関係の問題中心」(327件)、「傷病と惨事中心」(181件)、「複合的な問題」(13件)に分類されました。決定木解析により、組み合わせの特徴を検討した結果を表1に示します。このように、それぞれ独自の特徴を持つ5つの組み合わせの類型を抽出することができました。
労災認定事案の解析は、出来事が個人の主観的な評価ではなく、客観的な評価により認められるという点を強みとしていますが、心理的ディタッチメント、裁量、職場の支援など、労災認定の手続きに関わらない変数を扱えないという限界があります。また、労災認定されていないデータとの比較ができないので、これらの出来事の経験が精神障害の発症や労災の発生にどの程度影響を与えているのかを評価することもできません。これらの限界点を有しつつも、少なくとも精神障害の発症を伴うような業務上の心理的負荷(仕事ストレス)としての主要な出来事やその組み合わせを明かすことができた点は重要といえます。これらの出来事を中心に対策を進めることで、効果的・効率的に対策を講じることができると考えられます。また、今後の課題としては、このような分類が労災認定を受けていない一般の労働者の経験とも一致するかどうかの検討、これまで媒介・調整変数として扱われてきた件数を含めた解析、類型に基づく測定と既存の仕事の要求度等の単一指標の測定ではどちらがより疲弊や心身の健康障害の予測に適しているかの検討などが挙げられます。
表1 精神障害に関する労災事案における心理的負荷としての出来事の組み合わせの概要
4.終わりに
これまでの仕事ストレスに関する研究は、仕事ストレスが精神的な不調だけでなく、パフォーマンスの低下や離職率の上昇、脳・心臓血管疾患という重大な疾病を引き起こす等の可能性があることを明らかにしてきました。これは、これまでの研究の大きな成果といえます。一方で、仕事ストレスの測定の不安定さや、心理学モデルに基づく研究結果の一貫性のなさという課題もあり、より効果的な測定と再現性の高い研究を増やす必要があります。このような研究を可能にし、効果的な職場介入の方策を明らかにしていくために、ストレッサーの組み合わせの分類を新しい視点として、今後も活用していきたいと考えています。
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