労働安全衛生総合研究所

安全と心身の健康に共通する課題としての組織要因

はじめに


 我が国の深刻な過労死問題に対応するため「過労死等防止対策推進法」が2014年に施行されました。この法律では、過重な働き方などが原因の脳・心臓疾患および精神疾患と、死に至らない疾患を含む包括的な「過労死等」の定義が決められ、包括的かつ多面的な防止対策の推進が定められました。本稿では、働く人々の心身双方の健康が産業安全とも密接に結びついていることを述べます。そして、包括的な安全衛生の対策の意義・可能性について考えます。


心身双方の健康と安全に及ぶ休息不足の影響


 脳・心臓疾患と精神疾患の双方の過労死事案の多くに長時間労働が関わっています1)。一方、睡眠不足は作業能力の低下ももたらすことが多くの研究で明らかになっています2)。睡眠不足による安全と健康への影響は、「眠気」や「休息欲求」が疾病から心身の機能を守る防御的な反応であることを考えれば、納得がいくものです。
脳・心臓疾患の労働災害がもっとも多いのは「運輸業・郵便業」と分類される業種です。運輸業は最も労働時間の長い業種の一つで、トラックやバスの長距離輸送のドライバーが休息不足のまま無理な運転を続けて居眠りなどによる事故に至る「過労運転事故」が長年の問題となっています。この様に、プロドライバーの労働では、休息不足が関わる安全と健康の問題が深刻です。この背景には、運送事業に特有の働き方と、運転という作業の特性(短時間の意識低下が事故につながる)があります3)

精神疾患の労働災害の一因となる事故や災害

 当センターによる過労死等の事案分析によれば、精神疾患と自殺の過労死等の事案の原因として、「長時間労働」、「人間関係のトラブル」に加えて「事故や災害の被災・経験」がありました4)

疾病が原因の事故は珍しいことではない

 プロドライバーが運転中に健康上の問題で意識を失い、場合によっては突然死をして、事故や事故寸前の事象に至った事件が時折報道されます。交通事故でドライバーが死亡した場合、その直前に何らかの疾病を発症していたか否かは判りにくくなりますが、病理解剖などの詳細な検討をすれば、ある程度は検証できるそうです。フィンランドで行われた調査によれば、2003~2004年の死亡交通事故の10パーセントにおいてドライバーの疾病が関わっており、その主なものは心臓疾患だったと報告されました5)。最近はドライブレコーダが普及したので、ドライバーの疾病が事故の原因だとわかる事例も蓄積・検討されていくかもしれません。また、意識喪失といった極端な事象ではなく、体調不良によって安全確認が不十分になったり、動作の正確さが失われるといった、運転能力の低下による事故がどの程度生じてるのかは不明ですが、かなりの頻度で生じている可能性もあります。

健康起因事故の防止対策

 運転中に脳・心臓疾患などを発症してしまう不運な「偶然」が想像以上に多いことをフィンランドの調査は示しています。偶然の制御は不可能なので、多段階のリスク低減措置や防御整備の実施によって対策するしかありません。筆者らが2009年に実施した運送事業関係者(管理者、産業医、ドライバー)へのヒアリング等に基づいて、健康起因事故対策の実事例を整理・集約したものを図1に示しました6)

図1.健康起因事故防止対策(鈴木ら,2010)


安全と健康に共通する課題としての組織要因

 ドライバーの健康起因事故を防止する上で、出庫時の健康状態や睡眠に関する自己申告は重要です(図1)6)。表情や動作の観察、あるいは体調に関わる客観的測定技術も倫理面を考慮しつつ検討・活用の可能性があり、今後の技術開発などによって有効性が高まるかもしれません。しかし、すべての種類の健康状態を客観的に評価する方法は現在のところ無く、たとえば健康に関する職場での差別的な状況があれば、点呼の水際対策はうまく機能しない恐れがあります。管理と労働者との信頼関係に基づくコミュニケーションが必要です。
 コミュニケーションを有効に機能させるには、事故などの問題を起こした人に対する公正な対応が必須です。事故リスクには制御可能なものが多数ありますが、事故の発生には制御できない偶然・運の悪さもかかわっています。安全の組織要因を論じたリースンら7)は、企業・組織の安全文化の3要素として①正義の文化、②報告する文化、③学習する文化の三つをあげています。①正義の文化については以下のように述べています。
 「情報に立脚した文化は合意された正義の文化であり、非難すべきでない行為と処罰すべき行為との区別をはっきりさせるものである。ある不安全行為は、懲罰する正当な理由がない場合もあるだろう。それは非常に少ない頻度ではあるかもしれないが、無視もできない。正義の文化がなければ、可能な範囲で効果的な報告の文化を確立することが難しくなる。」
 同様のことが過重労働対策や健康領域に関しても言えると筆者は考えます。公正でない差別があり、それを恐れての隠蔽が生じる状況が危険であることは、2019年から始まった新型コロナの感染予防の問題でも痛感された方が多いのではないでしょうか。また、「健康文化」に特有な要件の学術的な検討も今後の課題です。

さいごに:職場の安全・心身の健康の一体的推進


 本稿では、産業安全と健康の密接な関係、および両領域に影響する組織要因を取り上げました。上述のリースンら7)は、組織で「当たり前のこと」、「前提条件」と見なされていることを改善・変革できる組織の文化、すなわち「学習する文化」が重要だと述べています。包括的な対策の推進によって、原因-結果の連鎖のさらに上流に目を向け、根本的な対策、特に企業組織の風土・文化などの改善を実現することが重要だと思います。また、包括的な対策の推進を、組織の部門や学術の研究分野を超えた協力と縦割りの解消につなげ、広い視野に基づき、実施可能な対策の着手の促進、部門、領域を超えた好事例の活用の推進ができるかもしれません。さらに、広い視野で問題を見直すことによって、安全衛生以外の快適性や効率などの問題も考慮されることにより、それぞれの事業や現場に適合した自然で継続性のある対策立案に結びつけられるかもしれません。



(過労死等防止調査研究センター 特定有期雇用職員  鈴木 一弥)

・引用文献
  1. Yamauchi T, Sasaki T, Yoshikawa T, Matsumoto S, Takahashi M, Suka M, Yanagisawa H Differences in Work-Related Adverse Events by Sex and Industry in Cases Involving Compensation for Mental Disorders and Suicide in Japan From 2010 to 2014. J Occup Environ Med, 2018; 60(4):245-249.
  2. Carskadon M, Roth T. Sleep restriction. In Monk TH (Ed) Sleep, sleepiness and performance. John wiley & sons : New York;1991
  3. 鈴木一弥 職業ドライバーの睡眠・疲労の実態と過労運転の防止に向けた課題. IATSS Review, 2013; 38(1):23-32.
  4. Takahashi M Sociomedical problems of overwork-related deaths and disorders in Japan. Journal of Occupational Health, 2019; 61(4):226-234.
  5. Tervo TMT, Neira W, Kivioja A, Sulander P, Parkkari K, Holopainen JM Observational failures/distraction and disease attack/incapacity as cause(s) of fatal road crashes in Finland. Traffic Inj Prev, 2008; 9(3):211-6.
  6. 鈴木一弥, 竹内由利子, 茂木伸之, 酒井一博, 小山秀紀, 井上真実, 小川祐紀, 山田真行, 芳地泰幸. 職業ドライバーにおける健康に起因する交通事故の防止.日本人間工学会第51回大会講演集, 2010:196-197.
  7. ジェームズ・リーズン,アラン・ホッブズ,高野 研一(監訳) 保守事故―ヒューマンエラーの未然防止のマネジメント. 日科技連出版社, 2005. Reason, J and Hobbs A. Managing Maintenance Error: A Practical Guide. CRC Press, 2003.

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