労働安全衛生総合研究所

経皮吸収の可能性が示唆された芳香族アミン類の体内での運命(行方)を知るために

1.はじめに


 2015年、福井県内の化学工場で働く数十名の従業員のうち5名に対して膀胱がんの事例が報告され、労働衛生の大きな問題として、行政だけではなく社会からも注目を集めました。その後、この工場と関連工場でさらに5名以上の発症が確認されましたが、これは明らかに一般における膀胱がんの発生率を大きく上回るものです。当研究所がこの工場における化学物質の使用状況やばく露と、膀胱がん発症との関連性について調査した結果、従業員は染料・顔料製造用原料として使用されていたo-トルイジン(OT)、2,4-キシリジン(2,4-ジメチルアニリン、DMA)、アニリン(ANL)、アニシジン(ANS)等の芳香族アミン類にばく露していたことが判明しました。しかし、作業環境中のOTや他のアミン類物質の気中濃度は、いずれも極めて低く、日本産業衛生学会の許容濃度である1ppm(OT)をも下回ることが判明しました。一方、従業員の尿中からは比較的高い濃度のOTもしくはその代謝物が検出されたことから、吸入ばく露以外の経路、即ち経皮吸収によって体内に侵入したことが強く示唆されました。
OTとANLの経皮吸収を示唆する報告は少数存在しますが、定量的な情報はほとんど無く、体内に入った後どの臓器へ移行するかについては不明です。そこで、我々は芳香族アミン類物質(特にOT)が
・ 皮膚経由で体内に入るのか。
・ どの臓器に移行するのか。
・ 特定の臓器でどの程度蓄積するのか。
を解析するため、放射性標識をした物質を実験動物の皮膚に塗布し所定の経過時間ごとに殺処分してその凍結切片における放射能の組織分布を画像で確認する全身オートラジオグラフィを用いました。さらに定期的に尿を採取し、尿中への排出量やパターンを解析したので、その結果を以下にご紹介します。


2.芳香族アミン類の発ガン性について


 OTを使用していたアメリカ国内のゴム製造工場において多数の膀胱がんが発症したことから、2012年国際がん研究機関はOTの発がん性をグループ1(ヒトに対する発がん性がある)に引き上げました。福井県の化学工場で膀胱がんを発症した従業員もOTにばく露していたことから、これが原因物質と疑われています。一方、他のアミン物質の発がん性情報は乏しく、現在、DMAとANLはグループ3(ヒトに対する発がん性を分類できない)、ANSはグループ2B(ヒトに対して発がん性があるかもしれない)となっていますが、これらも膀胱がん発生に寄与した可能性があります


3.体内に入った化学物質の動態


 投与された化学物質は吸収部位から血流によって全身の各組織に拡がり、毒性作用発現部位に到達して毒性を発現します。発現する毒性の強さは、作用部位における化学物質のばく露濃度とばく露時間、および発現部位の感受性などによって規定されると考えられます。一方、体内に入った化学物質は、通常、肝臓その他の臓器で代謝、解毒された後、尿中、胆汁中、呼気などに排泄されるか、代謝されずに尿中または胆汁中に排泄されます。従って、体内に入った化学物質が体内でどれ程の濃度で、どのような時間的推移をたどり全身に拡がり排泄されるのかを明かすることは、発現した毒性を解釈する上で有用な情報となります。



4.全身オートラジオグラフィで何がわかるのか


 全身オートラジオグラフィとは、動物に放射性標識をした化学物質を投与し、所定の経過時間ごとに殺処分し、その凍結切片における放射能の組織分布を画像に示すもので、この画像を比較することで化学物質の経時的な体内分布がわかります。マクロレベルでのオートラジオグラムでは、放射能測定器を使って各標本部位の比放射能を求める測定法と比べ、1枚の画像から多くの部位の放射能分布の情報を得られるため、測定器による結果を表で羅列するよりもエビデンスとしての説得力があります。例えば、1960年代以降注目された農薬の蓄積(残留)毒性について、1970年代に殺虫剤ベンゼンヘキサクロリド(BHD)のα、β、γ3異性体の体内分布が全身オートラジオグラフィによって明かされました。そこでは、殺虫作用の本体であるγ体は体内から速やかに消失するのに対し、α体だけは中枢に高濃度で移行し中枢性の急性毒性に対応すると述べられています。一方、β体は、全身の脂肪組織に高濃度で取り込まれて数か月間貯留し、その後徐々に肝臓に移っていくことが明かされました。また、ジクロロジフェニルトリクロロエタン(DDT)についても同様の蓄積性が明らかにされてきました。このように、全身性オートラジオグラフィは、化学物質の体内挙動を検出する画期的な方法として認識され、現在では新規医薬品の申請資料や薬物動態試験ガイドラインに組み込まれています。


5.オルトトルイジン(OT)の体内分布


 雄性Crl:CD(SD)ラットを用い、イソフルラン麻酔下で背部を剪毛、剃毛した後、 8時間および24時間の[14C]OT経皮投与(50 mg/1.30 mBq/4ml/kgの用量で塗布したリント布を使用)を行いました。投与後リント布を剥離し、イソフルラン吸入麻酔下、炭酸ガスの過剰吸入により安楽死させ、全身オートラジオグラムを作成しました。その結果、8時間投与で腎臓、膀胱等に高い放射活性が認められ、これらの臓器に移行していることが観察されました(図)。一方、24時間投与では、8時間投与に比べると各臓器の分布濃度が減少していました。このように、OTは投与後速やかに経皮吸収され、腎臓、膀胱に高濃度で移行することが明らかとなりました。また、尿中の[14C]OT量から経過時間ごとの排泄量を算出すると、投与後8時間でOTの約80%が排泄されており、非常に速い排泄速度であることが推察されました。


図 [14C]OT経皮投与後の全身オートラジオグラム

6.おわりに


 今回取り上げた[14C]OTを動物に経皮投与することにより、OTが速やかに吸収され、非常に速い速度で代謝され、尿中へ排泄されることが、全身の分布像と排泄量により示されました。このように、投与物質がどの臓器に分布しているのかを視覚的に観察でき、さらに生物学的モニタリング調査時に採尿の最適タイミングを予測してより詳細な尿中OTの状態解析が可能となるので、投与物質がどのような酵素により代謝を受けて、どのような形で尿中に存在するのかを知ることができます。放射性物質を用いた経皮投与実験による全身オートラジオグラフィは高度な技術を必要としますが、目的の物質の経皮吸収の有無、蓄積臓器、排泄速度など非常に多くの情報を得ることができるため、現場で健康障害が懸念される化学物質の体内における行方を知る有用な手法の一つとなるのではないでしょうか。


(産業毒性・生体影響研究グループ   主任研究員   柳場 由絵)

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