労働安全衛生総合研究所

神経細胞は本当に放射線に強いのか?

1.はじめに


 放射線は工業、農業や医療現場など幅広い分野で用いられており、私たちの生活に密接に関係しています。例えば、自動車のゴムタイヤを固くしたり、プラスチックの耐熱性を上げたりする際などに用いられています。もっと身近な例を挙げると、空港で飛行機に乗る前の保安検査、病院での放射線治療 (主にがん治療)やレントゲンやCTスキャンを用いた検査などがあります。このように放射線は大変有益ですが、一方で放射線に被ばくすると脱毛、白内障やがんなどの健康障害が起こる可能性のあることが良く知られています。放射性物質 (放射線を放つ物質)や放射線装置を扱う労働者がこのような健康被害を受けないために、放射線からの防護、定期的な健康診断や放射線に関する教育などが法律で義務付けられています(文献1)。しかし、被ばくを完全に無くすことは困難で、事故等で被ばくする可能性や、がん治療のため放射線の強い照射を局所的に受けざるをえない場合があります。また、前述の症状に加え、頭部に放射線を受けた場合、昨今社会問題になっているアルツハイマー病によく似た症状を引き起こすことも報告されていますが、この症状に注目した研究例は少ないのが現状です。本コラムでは、私たちがこの症状を意識して取り組んだ、神経細胞に対する放射線の影響を評価した研究について紹介します。



2.細胞への放射線の影響


 はじめに、放射線はなぜ健康障害を起こすのかを簡単に説明します。細胞の中には生物の設計図であるDNAが含まれていますが、放射線はこのDNAを直接または間接的に切断するなどの損傷を引き起こします。しかし、生物にはDNAの損傷を修復する能力が備わっており、殆どの場合は直ちに修復され、元の状態に戻ります。ところが、この修復は必ずしも完全なものではないため、時には修復過程で誤りが起こってしまい、元とは異なった情報に書き換わった状態 (遺伝子変異)になることもあります。この変異の中に、細胞の生存やがんの抑制に必須な情報が含まれていると、前者では細胞死が、後者では細胞のがん化、ひいては発がんに繋がり、大変問題です。また、修復誤り以外にも、損傷量が多い場合では修復が不可能となり、細胞死が起こることもあります。細胞死が起こっても、通常は他の細胞が置き換わるので問題ありませんが、大量の細胞死が起きると細胞の置き換えが間に合わず、臓器そのものが機能を失い、場合によっては個体が死亡します。


3.細胞の放射線感受性


 前項では放射線が細胞 (組織)にどのような影響を及ぼすのかを説明しましたが、個体は多種多様な細胞で構成されており、それらの細胞に対する放射線の影響度 (放射線感受性)は異なります。一般的に、細胞分裂が盛んに行われている細胞や未分化な細胞では放射線感受性が高いと考えられています。具体例を挙げると、分裂を盛んに行いながら白血球や赤血球などの細胞に分化できる造血幹細胞は非常に放射線感受性が高く、少量の放射線で細胞が死んでしまうことが知られています。逆に分裂をせず、分化した細胞である神経細胞は放射線感受性が低く、放射線に強いとされています。


4.私たちの取り組み


 前項で、これまで神経細胞は放射線に強いとされてきたことを述べましたが、意外なことに、そのことを実験的に示した報告は見当たりません。それどころか、動物実験でマウスなどの頭部に放射線を照射すると、学習能力や空間認識能力が低下し、大量の神経細胞死によって発症するアルツハイマー病に似た症状が現れるという報告 (文献2, 3)があり、さらには脳腫瘍の治療で放射線治療を受けた患者にも同様の症状がみられたという報告 (文献4)があります。これらの報告から、私たちは神経細胞に高い放射線感受性があるのではないかと考え、以下の実験に取り組みました。
 先ず、私たちはマウスの脳組織から神経細胞など脳組織を構成する細胞に分化出来る神経幹細胞を取り出し培養皿で培養を行い、その細胞を特殊な培養液に入れることで神経細胞を得ました (図1)。このようにして得た細胞に放射線を照射して、その後に死細胞の数を比較しました (図2)。ここまで読まれた方なら、分化細胞である神経細胞よりも未分化な細胞である神経幹細胞の方が死細胞は多い(神経細胞は放射線感受性ではない)とお考えになるかもしれませんが、実際には神経細胞の方で死細胞が多く検出されました。つまり、これまでの知見とは異なり、神経細胞は放射線感受性であることが確認され、私たちはこの事実を報告しています (文献5)。本報告によって、放射線がアルツハイマー病に似た症状を引き起こす理由の一部が説明され、部分的ではあるが放射線がどのようにアルツハイマー病に似た症状を誘発するのかについてのメカニズム解明の足がかりになると考えています。



図1 私たちの研究で用いた細胞



図2 神経幹細胞と神経細胞における放射線照射による死細胞数の比較 (文献5を改変)

 青色はDAPIという蛍光色素でDNAを含んでいる細胞内の核という構造物を染色しています。白矢印は死細胞を指しており、生きている細胞よりも小さく、強い蛍光をしているので容易に判断できます。


5.最後に


 放射線が学習能力や空間認識能力の低下を招くことは知られていましたが、それを引き起こすメカニズムに言及する報告は非常に少ないのが現状です。放射線は産業分野や医療現場など幅広い分野で用いられており、私たちの生活から切り離すことは不可能であるため、放射線を取扱う労働者及び放射線治療を受ける患者の放射線防護の観点から、さらなる研究が必要であると考えています。


参考文献

  1. 平成18年1月5日厚生労働省令第1号、電離放射線障害防止規則
  2. Raber J, Fan Y, Matsumori Y, Liu Z, Weinstein PR, Fike JR, Liu J. Irradiation attenuates neurogenesis and exacerbates ischemia-induced deficits. Ann Neurol. 2004;55:3820
  3. Cherry JD, Liu B, Frost JL, Lemere CA, Williams JP, Olschowka JA, O’Banion MK. Galactic cosmic radiation leads to cognitive impairment and increased ab plaque accumulation in a mouse model of Alzheimer’s disease. PLoS One. 2012;7:e53275
  4. Fike JR, Rosi S, Limoli CL. Neural precursor cells and central nervous system radiation sensitivity. Semin Radiat Oncol. 2009;20:122-32.
  5. Kashiwagi H, Shiraishi K, Sakaguchi K, Nakahama T, Kodama S. Repair kinetics of DNA double-strand breaks and incidence of apoptosis in mouse neural stem/progenitor cells and their differentiated neurons exposed to ionizing radiation. J Radiat Res. 2018;59:261-271.

(産業毒性・生体影響研究グループ 特定有期雇用   柏木 裕呂樹)

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