労働安全衛生総合研究所

閉まる扉による骨折リスクの考察(続:エレベーターの危険性)

1.はじめに


 エレベーターの危険性について、約7年近く前のコラム( 安衛研ニュースNo. 45 )でご紹介しました。今回のコラムは、エレベーターの危険性の1つとして当時ご報告した「閉まる扉」による骨折リスクについての続報となります。まだ精査すべき課題が多くありますが、ようやく、その後の研究結果を報告できるようになりました。今回のコラムは学術的な内容が多く、少し読みにくいかもしれません。最後までご一読頂ければ光栄です。
 まず、当時のコラムで報告したエレベーター等の「閉まる扉」の危険性につて、再度、簡単にご説明します。そして、今回のコラムの主題となる、運動エネルギー20Jの危険性に関する実験的な検証結果についてご報告します。



2.エレベーター等の閉まる扉の危険性


 当時のコラムでは、エレベーターによっては閉まる扉に接触すると、それだけでけがを負うおそれについて報告しました。この報告は、筆者らが実施した労働災害事例の分析結果に基づくものです。エレベーター等の昇降機の労働災害を調査したところ、一般の方々も日常的に利用している乗用エレベーターにおいて、「自動で閉まる扉による上肢の骨折」が典型的な災害事例であることが判明しました。
 災害事例分析では、扉と荷物などに挟まれて、あるいは、扉と衝突して手指などを骨折する事例が多く確認されました。また、けがの程度も重く、1ヶ月以上の休業を必要とする報告が多数ありました。病院をはじめ、旅館や福祉施設など、皆様の近くで発生していました。第三次産業においてはエレベーターの典型災害と言えました。
 乗用エレベーターには、接触を検知して自動で扉を開ける反転機能の装備が義務付けられています。しかし、反転機能が正常に動作しているエレベーターでも骨折などの災害事例が確認されました。当時のコラムを執筆した時点では、主原因の特定には至りませんでした。そこで、筆者が所属する研究グループでは、扉を閉じる速度制御に安全上の課題があるのではないかと考え、その可能性を断続的にではありますが検討してきました。


3.扉の制御方法と安全面の課題


 扉との接触や衝突によるけがの危険性を下げるためには、扉の速度を制御することが基本となります。しかし、現在の多くの扉の制御方法は扉を閉じる力(戸閉力)しか規制されていません。速度制限の指標については、昇降機の安全要求事項を定めた国土交通大臣が公表した標準仕様書(TS A 0028-1:2011)に運動エネルギーとして規定されています。重要な規定ですが、JIS規格(日本工業規格)ほどの強制力(性能制限)はありません。また、十分な安全性が保証されるとも限りません。
 この標準仕様書では、運動エネルギーは最大23Jまでと規定されています。この値は例えば、体重46kgの人が速度1m/sで歩行している状態の運動エネルギーと同じです。さほど大きなエネルギーとは受け止め難いのですが、筆者が実施した文献調査では、この規定値23J以下でも、衝撃荷重により献体(遺体)の腕が骨折している試験報告を確認しております。閉まる扉の運動エネルギーが最大である23Jへ達した丁度その時に、人が接触してしまうと骨折する危険性は否定できません。そこで、筆者らは、人の前腕(手から肘までの部位)を人工的に模擬した模擬前腕(mimics)を独自に製作し、この模擬前腕を実際に実験で破壊することで、骨折の危険性を検証しました。


4.模擬前腕を用いた骨折リスクの検証


 さて、ここから今回の主題である運動エネルギー23Jの危険性についてご報告します。学術的にはまだ多くの検証が必要な発展段階の実験結果ですが、速報としてご紹介します。
 骨折リスクを検証するにあたり、落錘試験などと呼ばれる破壊実験を実施しました。この実験は文字通り、錘を対象物に落として、破壊の程度を確認する単純な方法です。この破壊実験において対象物として用意したのが、筆者らが独自に開発した模擬前腕です。実験のイメージとして、落ちてきた錘を人の掌(てのひら)で受け止められるかどうかを確認するもので、天井へ伸ばした人の掌に天井から錘を落す仕組みです。これは、人が転びそうになって地面に掌をつこうとするときの天地を逆にした状態とも言えます。実際の実験風景を図1に示します。


図1 落錘実験風景

 図1は上側に錘が吊るされている状態で撮影されたものです。この錘は2本の黄金色の金属パイプに沿って自由落下し、図の下側にある円筒状の金属筒に固定された模擬前腕に激突します。実験に使用した模擬前腕を図2に示します。実験では3種類の模擬前腕を使用しました。


図2 実験に使用した3種類の模擬前腕

 実験で使用した3種類の模擬前腕は、40歳代日本人女性右腕の電子データ(三次元CAD)をもとに実物大の寸法で製作されたものです。骨の形状と構造が忠実に再現されており、実際の人骨の強度を再現した2層構造の人工骨を内蔵しています。模擬前腕は図3に示すように、内蔵している骨の種類と形態とで3種類を製作しました。製作では、掌が衝撃を吸収する緩衝材(スポンジ等)として作用すると考え、掌の再現形態に注目しました。
 図3の左に示す前腕骨モデルの模擬前腕は、前腕(橈骨、尺骨)が皮・肉で覆われていない剥き出しの状態で再現されており、掌は再現されていません。図3の中央に示す手根骨付モデルは、掌の指先がない状態で再現されています。同図の右側に示す中手骨付モデルは、指先が再現されていません。


図3 模擬前腕の構造と形態

 模擬前腕が衝撃を吸収する能力は、左の前腕骨モデルが最も小さく、次に、手根骨付モデルとなり、中手骨付モデルが最も大きくなり、骨折しにくい構造であると想像されます。そして実際、後述するように運動エネルギー20Jの破壊実験では、前腕骨モデルの模擬前腕のみで骨折が発生しました。


5.破壊実験結果に基づく考察


 3種類の模擬前腕を用いて破壊実験を実施しました。実験条件は、錘の運動エネルギーが20Jとなる状態から、錘を模擬前腕に向かって自由落下させる簡単なもので、具体的に述べますと、錘5kgを高さ0.41mから自由落下させ、垂直に立てた模擬前腕に衝突させました。
 衝突後に人工骨の破壊を目視で確認したところ、前腕骨モデルの模擬前腕のみで骨折が確認されました。図4、図5に実験後の前腕骨モデルの模擬前腕を示します。衝撃荷重が逃げずに直接人工骨にまで達すると、運動エネルギー20Jでも、潜在的に骨折をもたらす危険性があると判断されます。


図4 衝突後の前腕骨モデル模擬前腕

図5 人工骨の破壊状況

 人工骨が模擬皮・肉で覆われていない前腕骨モデルの場合、人工骨は激しく破壊されました。一方、模擬皮・肉で覆われている、手根骨付モデルと中手骨付モデルの場合では、目視においては、人工骨の破壊は確認されませんでした。掌の部分が衝撃の吸収に寄与していると判断されます。
 念のため、実験後の人工骨をCT撮影により内部の破損状況を断層写真にて確認しましたが、CT撮像においても人工骨の破損は確認されませんでした。図6、図7に確認した人工骨のCT撮像例を示します。


図6 手根骨付モデルの人工骨CT撮像例

図7 中手骨付モデルの人工骨CT撮像例

6.おわりに


 これまで、運動エネルギーが20Jを超えると上肢を骨折する危険性があることを文献調査で把握していました。この危険性を検証するため、筆者らが実施した模擬前腕の破壊実験では、人工骨が模擬皮・肉に覆われている手根骨付と中手骨付の模擬前腕では骨折は確認されませんでした。一方で、人工骨がむき出しの状態である前腕骨モデルの場合では、人工骨は激しく破壊されました。このことから、運動エネルギー20Jは、潜在的に骨折をもたらす危険性を有している水準値として判断されます。ただし、実際には皮・肉等によりエネルギーが吸収されるため、骨折に至るリスクは健常者では高くはないと推察されます。
 最後に、痩せている人や高齢の人は皮・肉・筋が薄いため、衝撃を吸収する効果が低くて骨折しやすいものと考えられます。そのような方々の中で、特に、職場環境でエレベーター等の自動扉と接触する機会の多い人や、日常的に転倒しやすい人は、緩衝材が入った厚手の手袋などを着用することで、骨折を予防して頂ければと思います。


(機械システム安全研究グループ 主任研究員 岡部 康平)

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