土砂崩壊による労働災害の現状と対策の変遷
1.土砂崩壊による労働災害の死亡者数
日本は国土の7割を山地が占めることから、必然的に生活空間は山間部にも展開されていき、山を切り開くための土地造成工事、道路工事、トンネル工事、砂防工事等の土砂掘削を伴った土木工事が必要となります。また、都市部では、上下水道工事、河川工事、建築工事等が実施され、地盤の掘削工事は私たちの生活基盤を形成する上で無くてならない工事といえます。 こうした土砂掘削を伴う工事において、残念ながら毎年多くの労働者が死傷されている現状にあります。図1に建設業労働災害防止協会(以下、建災防という)から発刊されている建設業安全衛生年鑑を基に集計した1985年から2016年までの土砂崩壊・落盤等による労働災害による死亡者数の推移を示します。土砂崩壊・落盤による労働災害の死亡者数は、1960年代は200~300名、1970年代は100~200名前後あり、ここから比べると減少しているものの、近年でも毎年約10~20名が被災しています。
図1 土砂崩壊・落盤等による労働災害の死亡者数の推移
近年の労働災害による死亡者数の減少の背景には、建設投資額の減少による工事数・就業者数の減少などの社会的な要因や、法整備や意識改革といった労働災害防止対策の推進の成果といえます。一方でここ数年だけに着目すると、減少傾向が停滞しているとも言えます。
2.各工事におけるガイドライン
近年の土砂崩壊による労働災害は図1のとおり、「トンネル工事中」、「溝掘削工事中」、「斜面掘削工事中」の三つに大別され、労働安全行政における重点課題として取り上げられています。それぞれの工事において下記のガイドラインが策定され、同工事に対応した有効な労働災害防止対策が推進されてきました。
トンネル工事中:
平成28年(2016年)12月26日(基発1226第1号)
「山岳トンネル工事の切羽における肌落ち災害防止対策に係るガイドライン」
平成29年(2017年)3月21日(基発0321第4号)
「シールドトンネル工事に係る安全対策ガイドライン」
溝掘削工事:
平成15年(2003年)12月17日(基発第1217001号)
「土止め先行工法に関するガイドライン」
斜面掘削工事
平成27年(2015年)6月29日(基安安発0629第1号)
「斜面崩壊による労働災害の防止対策に関するガイドライン」
3.斜面崩壊による労働災害の防止対策に関するガイドラインとその変遷
ここでは「斜面崩壊による労働災害の防止対策に関するガイドライン(以下、ガイドライン)」が発出されるまでの変遷とガイドラインの概要について、簡単にご紹介いたします。 斜面掘削工事の労働災害防止については、1970年代から現在に至るまで断続的に検討が行われており、これについて表1にまとめました。
年 | 実施団体名 | 委員会名・文献題名 | 内容 |
---|---|---|---|
1962 | 産安研(現 安衛研) 前郁夫 1) | 土砂崩壊による労働災害について | 1954年~1958年に発生した重大災害について分析。1965年の労働安全衛生規則の一部改正に盛り込まれる |
1972-1976 | 産安研(現 安衛研) 前郁夫ら 2) | 切取り工事における土砂岩石崩壊による死亡災害の分析 | 切取り工事の労働災害について詳細な分析 |
1976 | 建災防 土砂崩壊防止対策委員会 3) | 切取工事の安全(1979) | 切取り工事に対する安全施工の指針 |
1983-1985 | 土質工学会 (労働省からの委託) 4) | 掘削工事の安全技術に関する調査研究会 | 主として崩壊の事前予測、災害の予防等の技術解明に焦点をあてた検討 |
2003 | 建災防 5) | 法面での土砂崩壊防止対策に関する調査研究委員会 | 設備対策に重点が置かれた検討 |
2004-2007 | 安衛研 6) | 情報化技術を採用した中小規模掘削工事の安全化に関する研究 | 防止対策に特化した研究を開始し、過去の労働災害事例の調査、切土掘削による斜面崩壊メカニズムの解明、災害防止対策樹立のための調査・研究活動 |
2005-2008 | 北海道大学 三田地利之 安衛研 | 斜面崩壊による労働災害防止に関する研究(厚労科研) | 地盤強度の評価法の検討や計測機器による斜面崩壊予測および危険性判定手法の検討 |
2008-2011 | 東京工業大学 日下部治 安衛研 | 土砂崩壊防止のための対策工に関する研究(厚労科研) | 災害事例および土砂崩壊防止対策に関する設計手法の調査、土砂崩壊防止のための対策工の各種要因の影響評価、最適設計手法の提案 |
2009 | 安衛研 7) | 法尻掘削における斜面崩壊の予測・検知手法に関する研究 | 法尻掘削による崩壊メカニズムや土圧算定手法の検討、計測機器の開発 |
2009-2010 | 安衛研 8) | 斜面崩壊による労働災害の防止対策に関する調査研究会 | 地山の点検については発注者、設計者及び施工者が同じ点検表を用いて斜面に関する情報を共有し、対策を講ずることが労働災害の防止上効果的である旨の報告を取りまとめた |
2010-2012 | 建災防 | 土砂崩壊災害防止検討委員会 | 上記を受け、実態調査を実施し、斜面掘削工事での土砂崩壊による労働災害を防止するために発注者、設計者及び施工者の三者が行う点検、協力、共有すべき情報等に係る具体的方法を検討した |
2015 | 厚生労働省労働基準局 安全衛生部安全課長通達 | 斜面崩壊による労働災害の防止対策に関する ガイドライン(基安安発0629第1号) | 本文中に記載 |
平成21年度(2009年度)には、独立行政法人労働安全衛生総合研究所(現独立行政法人労働者健康安全機構労働安全衛生総合研究所.以下、「安衛研」という。)が、「斜面崩壊による労働災害の防止対策に関する調査研究会」を設置し、以下の検討結果を示しています。
(1) 発注者・設計者・施工者の三者の斜面崩壊危険性の共有化
(2) 危険性が確認された場合の「安全性の検討」について
(3) ハード対策の観点・概念の提示
これは従前までの防止対策とは一線を画し、地盤リスクマネジメントで検討されている事項を忠実に検討した結果となっています。この報告を受け、建災防は「土砂崩壊災害防止検討委員会」を設置し、平成22年度(2010年度)~平成23年度(2011年度)にかけて実態調査を実施し、安衛研で提案された三者共有点検表等を用いた点検等による情報共有や、斜面の状況に応じたハード対策について斜面掘削工事現場での実効性等を検証し、実用的かつ効果的な対策を検討しました。
厚生労働省では、これらの検討結果等を受け、斜面掘削工事における土砂崩壊防止対策として労働基準局安全衛生部安全課長通達「斜面崩壊による労働災害の防止対策に関するガイドライン(基安安発0629第1号)」(以下、ガイドライン)を平成27年(2015年)6月29日に発出しました。
斜面掘削工事では事前調査が不十分な場合や、地質構造の複雑さから設計図書が実際の地質状況を反映していないことがあり、また、掘削中の斜面は降雨や湧水等により日々変化することから、労働安全衛生規則第355条では「調査」、第358条では「点検」を事業者に義務付けています。ガイドラインでは発注者、調査・設計者、施工者が「設計・施工段階別点検表」、「日常点検表」、「変状時点検表」の3つの点検表および「異常時対応シート」を用いて斜面崩壊の危険性に関する情報を共有し、当該斜面の異常が確認された場合には3者で安全性検討関係者会議を開催し、点検結果に基づいた安全措置やハード対策を協議する旨をとりまとめています。
4.現在の取り組み -斜面崩壊と水分の関係-
このガイドラインによって労働災害が防止されるためには「点検表を正しく理解できる点検者の育成」と「点検表にて得られた斜面崩壊の危険要因と除去するための技術開発」が不可欠となります。前者については,建設業労働災害防止協会(建災防)が「斜面掘削工事における土砂崩壊災害防止対策マニュアル」を発刊し,「斜面の点検者に対する安全教育」を各都道府県支部にて開催しています。
安衛研では現在,後者のハード対策や動態観測(モニタリング)を併用した対策方法の提案を目的とした研究を行っており,その一つとして地盤内の「水」に着目しています。土は空気,水,土粒子で構成されており,土の崩壊現象と水の存在は密接に関わっています。ガイドラインで示された3つの点検表の全てにおいても,点検項目の一つに「湧水の有無」が挙げられています。実際に降雨や融雪水が誘因となった土砂崩壊による死亡災害が多く発生しており,工事中の地盤内の「水」への対策が重要といえます。そこで,安衛研では地山の中の水分がどのように崩壊に影響するのか,またその対策はどうすればいいのか,これらの問題解決のために研究しています。
参考文献
- 前郁夫:土砂崩壊による労働災害について, 土と基礎, Vol. 10,No. 4, pp. 34-37 (1962).
- 前郁夫, 鈴木芳美, 堀井宣幸:切取り工事における土砂岩石崩壊による死亡災害の分析, 産業安全研究所技術資料, Vol.RIIS-TN-78-1, p. 19p (1978).
- 建設業労働災害防止協会:切取り工事の安全, 建設業労働災害防止協会, p. 191p (1979).
- (社)土質工学会:掘削工事の安全技術に関する調査研究報告書(労働省委託), (社)土質工学会(1986).
- 法面での土砂崩壊防止対策に関する調査研究委員会報告書(2003).
- (独)労働安全衛生総合研究所:情報化技術を援用した中小規模掘削工事の安全化に関する研究, No. 35, 労働安全衛生総合研究所特別研究報告SRR, 153p (2007).
- 伊藤和也, 豊澤康男, 玉手聡, 武山峰典, 村山盛行, 小板橋琢馬, 末政直晃:法尻掘削における斜面崩壊の予測・検知手法に関する研究, 労働安全衛生研究特別研究報告SRR, No. 39, pp. 51-65 (2009).
- (独)労働安全衛生総合研究所:斜面崩壊による労働災害の防止対策に関する調査研究会報告書(2010).