米国ミネソタ大学での在外研究報告
1.はじめに
平成27年度より、労働安全衛生総合研究所の在外研究員派遣制度が始まりました。この制度は、研究職員が資質・能力の向上を図るため、海外の大学または研究機関において研究を行う制度です。私はこの制度により、平成28年3月から1年間、米国ミネソタ大学ツインシティー校機械工学科の微粒子工学研究室に客員研究員として派遣されることになりました。
私の専門は空気中の微粒子(エアロゾル)の計測で、これまでナノマテリアルへのばく露や除染作業時における汚染土壌粉じんへのばく露に関して調査研究を行ってきました。私が派遣先に選んだ上記研究室は、エアロゾル研究に関して長年にわたり国際的な発信力があり、世界的に有名なグループです。特に空気中の微粒子をろ過するためのフィルター(除じん装置やマスク等に用いられる)の性能評価やエアロゾル測定装置の開発・評価において第一線の研究を行っています。
私はそのような環境に身を置き、最新の研究やマネジメントに直に接することで自身の研究能力を向上させ、国際的な感覚を養い、帰国後の労働衛生の研究活動に活かしたいと考えています。
米国滞在も既に半年が経過し、滞在期間は残り半分になりました。以下に渡航の準備とこの半年間の滞在について報告させていただきます。
2.渡米準備から米国での生活スタートまで
平成27年6月に所内での選考を経て在外研究員候補に決まりました。この選考に先立って、派遣先の研究室を選び、受け入れの許可を得る必要がありました。私は、産業医科大学産業生態科学研究所の明星敏彦教授に相談し、推薦状を書いていただきました。この際の推薦状は非常に重要で、明星教授の推薦によって研究室への受け入れが認められました。
渡米の準備では、在外研究員として滞在する際に必要となるJ-1ビザ(交流訪問者用ビザ)の取得に時間を要しました。先ず、ビサ申請に必要な書類に、DS-2019(米国政府に承認されている交流プログラムへの参加者であることを証明する公的な書類)があり、これを派遣先の大学に発行してもらわなければなりません。その際、TOEFL等の英語能力を示す試験結果、履歴書、招聘状、収入証明書など様々な書類を大学に提出する必要があります。派遣先の大学の事務と何度も書類のやり取りを行い、DS-2019を受け取るまでに3ヶ月程かかりました。その後、DS-2019等必要書類を揃えて米国大使館で面接を受け、J-1ビザを取得することができました。
アパートの契約にも一苦労しました。日本からインターネットで探し手続きを進めましたが、仮契約の段階で小切手による支払いが必要だったからです。どう対応すべきか困りましたが、派遣先の方が手助けしてくれたお蔭で、渡米前に住居を確保することができました。
準備を終えて、2016年2月末に日本を発ちました。客員研究員としてのプログラム開始が3月1日からでしたので、生活基盤を整えるため、到着後すぐに銀行口座を開設し、家具や調理器具一式を揃え、日本への連絡手段を確保しました。
プログラムが始まってから最初の2週間は様々な手続き(大学の身分証明書の作成、ネットワーク接続の登録、オリエンテーションへの参加など)に追われました。実験を開始する前には、安全教育の受講が義務付けられていました。私の場合は化学物質や放射性同位体を取り扱う可能性があったため、それらの取り扱いや危険時の対処法に関する講義を受けて試験に合格する必要がありました。
3.ミネソタでの生活
ミネソタ州は、米国中西部の北に位置し、カナダと国境を接しています。ミネソタ大学ツインシティー校は、ミネソタ州最大の都市ミネアポリス市と州都セントポール市にまたがって本部を置いています。私の在籍する研究室は、ミネアポリス市内を流れるミシシッピー川沿いのキャンパスにあります。ミネソタの冬は、マイナス20℃を下回ることも珍しくなく、非常に厳しいといわれています。一方、夏は30℃を超えても比較的乾燥しており、朝晩は涼しくなるため快適でした。
ミネソタ大学ツインシティー校は、約5万名の学生が在籍する全米の州立大学の中でも最大規模の大学です。留学生も多く、例えば中国からは約3000名、韓国からは約1000名が在籍しています。ただし日本人の在籍者は約70名と少数です。機械工学科では私が唯一の日本人研究員(日本人学生は3名在籍)です。ミネソタ大学全体では日本の省庁や企業から派遣されている研究員が5–10名程在籍しています。
こちらで暮らしている人たちは土日の余暇にスポーツをすることが多く、私自身もソフトボールや卓球などのスポーツに参加して様々な国の人達と知り合う機会を得ています。
4.研究室の紹介
私が在籍する研究室は、David Pui教授を筆頭に、ポスドク3名、博士課程学生7名、客員研究員2名(筆者を含む)で構成されています。Pui教授は、フィルターによるエアロゾルの除去やエアロゾル測定装置の開発に関する研究で著名な先生です。研究室の卒業生の多くが、世界各国の大学や研究機関でエアロゾル研究に従事しています。米国NIOSHにも現在3名が研究者として在籍しています。
研究室では、毎週1回のミーティングがあり、そこで一週間の研究の進捗状況の報告や連絡事項の確認を行います。研究では、様々なエアロゾルに対するフィルターの性能評価およびエアロゾル測定装置の開発や評価の実験が行われています(写真1)。
また、この研究室ではフィルトレーションリサーチセンター(CFR)を運営しており、フィルターや粒子計測に関連する企業等13社(3M、ボーイング、フォード、重松製作所などの企業、および準加盟団体として米国NIOSHが参加)と提携して、産学共同研究を活発に行っています。
写真1 実験室の様子(フィルターの性能を評価するための実験システム)
5.研究活動
私の滞在中の研究テーマは、電子顕微鏡を用いた気中ナノマテリアルの濃度測定法の検討です。ナノマテリアルとは、ナノメートルサイズ(粒径1~100 nm)の非常に小さな構造の固体材料のことであり、代表的なものとしてカーボンナノチューブやナノ二酸化チタンなどがあります。ナノマテリアルを吸入することにより、そのサイズや形状に由来した、ナノマテリアル特有の健康影響が懸念されます。そのため、ナノマテリアルばく露の可能性がある職場では、精度の高い濃度測定が求められます。
電子顕微鏡による観察では、フィルター上に捕集された粒子の数、サイズ、形状、元素組成の情報が得られます。これは個々の粒子を直接観察する方法のため、重量分析で必要な試料量に比べ、極めて少量のサンプルで分析できるという利点があります。また、これらの情報はナノマテリアルのリスク評価に欠かせないものです。
研究では、電子顕微鏡観察専用のフィルター上に捕集された粒子の個数を数えることで、空気中のナノマテリアルの濃度やサイズ分布を推定する方法を検討しています。ここで測定対象とするのは、ナノメートルサイズの粒子であり、専用フィルターの目よりも小さな粒子になります。このような粒子の場合、フィルターをすり抜けることもあれば、フィルターの基材に衝突したり付着して捕捉されることもあります。この捕捉される確率(粒子捕集効率)は、粒子の大きさや形、フィルターの目の粗さやフィルターを通過する空気の流速によって変わります。したがって、フィルター上に捕集された粒子の数から濃度を求めるためには、先ずフィルターの粒子捕集効率を求める必要があります。現在、試験用ナノマテリアルの 発生技術やナノマテリアル粒子の捕集効率の測定技術のノウハウを習得し、それらの技術を当研究に活かしています。
実験以外にも、4月に米国NIOSH(オハイオ州シンシナティ市)を訪問し、エアロゾル測定や工学的対策が専門の研究者と情報交換を行いました。5月にはAIHce(米国産業衛生学会議)へ参加し、また前述のCFRの定例会議では研究発表を行い、労働衛生やエアロゾル計測の専門家との交流を拡げました。今後は、10月に開催される米国エアロゾル会議およびCFR定例会議において、この半年間の研究成果を発表する予定です。
6.おわりに
現在、在外研究員として非常に濃密で有益な時間を過しています。労働安全衛生総合研究所の皆様には、準備段階から海外での研究に専念できるようご配慮いただくなど、派遣に際して多大なご支援をいただきました。派遣先の決定に際しては、産業医科大学の明星教授に大変お世話になりました。渡米してからはPui教授をはじめ研究室関係者の方々にご支援をいただいています。本当に多くの方々のサポートにより在外研究が実現しているのだと実感します。お世話になっている皆様に深く感謝いたします。
帰国後は、労働環境中のエアロゾルの濃度測定の精度向上およびフィルターによる除去に関する研究を行い、労働者が健康に働ける職場づくりに貢献したいと考えています。