ストレスと距離をとり生産性向上につなげるセルフケア
突然ですが、シロクマの姿をイメージしてみてください。思い浮かびましたか?それではこれから3分間、シロクマのことを絶対に考えないようにしてください、ではスタート!
どうでしたか?様々な方法でシロクマを思い浮かべないように努力されたと思いますが、完璧にできた方はおられますでしょうか?気をそらしたり別のことを考えるようにしていたりしたけれど、ふとした瞬間にシロクマの姿が頭に浮かんでしまった、という方がほとんどなのではないでしょうか。
このシロクマが人の思考(およびイメージや記憶など)の性質をよく表しています。つまり、人は自分の考えをコントロールできると思いきや、自分の意図するように扱えるわけではないということです。ここではシロクマが題材だったので、ほとんどの方は強い感情を伴うことはなかったと考えられますが、これが自分と関係があるネガティブな内容だったらどうでしょうか?たとえば、仕事でのミスを上司から叱責された記憶や、予定されている会議でのプレゼンへの心配などです。こうした考えがずっと頭の中でめぐっていたら、するべき仕事が手につかなくなってしまうでしょう。
考えないようにしていたシロクマが勝手に頭に浮かんでくるのと同じように、いやな考えをなくそう、または別のことを考えようとしてもその努力が役に立たない結果に終わる、といったことは、皆さま思い当たる経験があるのではないでしょうか?本コラムでは、このような我々の思考の性質を踏まえ、最近国際的に研究や実践が増えているストレス低減のためのセルフケアの方法を、私が現在進めている研究と共に紹介したいと思います。
1.はじめに
2015年12月1日からストレスチェック制度が始まり、多くの事業場で取り組みが進められている所です。ストレスチェック指針では、基本的な考え方として、メンタルヘルス不調の未然防止だけでなく生産性の向上にもつながる制度が目指されており、従来のストレス低減に着目した対策だけでは不十分な側面があるでしょう。
せっかく大変な手間をかけてストレスチェックを行うのですから、従業員のメンタルヘルスを良くし、同時に個々の能力を引き出すことで生産性向上につながるような機会を提供できたら、事業者と労働者双方に多くの恩恵があるのではないでしょうか1)。
ところで、現在最もストレス低減のエビデンスが明らかになっているのは、前回の筆者のコラム(https://www.jniosh.go.jp/publication/mail_mag/2012/44-column.html)で紹介したとおり、認知・行動療法(CBT)を元にしたセルフケアプログラムです。仕事の生産性向上に関しても、筆者らが最近の介入研究をレビューした所、約半数がCBTを元にしたプログラムでした。他には、以下のような内容が見られました。
- 瞑想、ヨガ、マインドフルネス実践
- 太極拳
- フルーツの無料提供や運動の個別および集団でのトレーニング
- 活動量計装着とwebによるモニタリング
- 食事と運動の日誌による報告とwebによるフィードバック
- PCによる休憩リマインダと体操の方法紹介
また、効果が見られていたCBTプログラムでは、すべて共通のマニュアルが使われていました。その特徴としては、ネガティブ思考から距離をとる練習や楽しい活動を増やす行動活性化が含まれていることがあげられます。
これらのことから、生産性向上を目指したセルフケアについては、自分の思考と距離をとり、意図した活動を増やす戦略が有益だと考えられます。
2.思考と距離をとる
自分の思考と距離をとるための方法として、最近マインドフルネスという概念がよく用いられています。これを簡単にいうと、「今」という瞬間に対する気づきのことです。下図はそれを図式化したものです。たとえば、心配や後悔、いやな記憶を思い出す、などの人の思考内容は、時間的に未来や過去の話になりがちです。今の瞬間の感覚に気づき続けることができれば、そうした自分の思考と距離をとって向き合うことが可能となります。これにより、自分が感じている思考や感情としてのストレスに巻き込まれにくくなります。
マインドフルネスのスキルを身につけるために、瞑想やヨガなどが使われます。日本で昔から実践されてきた座禅などもこれに含まれます。最近はこうした方法についての科学的検証が多くされており、有用性が示されてきているのです。実際にどのような内容が研究として職場で実施されてきたかについて、筆者のまとめた総説2)を参照いただければと思います。
3.活動を増やす
活動を増やす方法としては、運動ももちろんですが、仕事や家庭、余暇など様々な状況を視野に入れて考えることが有用です。前節で紹介したマインドフルネスと合わせて、これを意図的に取り組んでいく方法として、CBTの一種である、アクセプタンス&コミットメント・セラピー(ACT)があります。
ACTでは、人生を方向づけたり行動の原動力となったりするような個人的な強みや資質を意識し、これに沿った行動パターンを形成していくことを行います。こう書くと難しそうですが、例えば、スポーツジムに入会し水泳を始める、子どもと過ごす時間をもっと増やす、といったことも行動パターンの形成です。
日々の忙しい生活の習慣に流されていると、なかなか違った活動に取り組む余裕がなく、さらに「時間がないから」といったような自分の考えに影響され、行動が抑制されてしまいます。ACTでは、思考と距離をとる様々な方法を用いて、思考が行動に及ぼす影響に注意を向け、思考が行動の原因にはなっていないことを体験的に理解できるように練習します。少し強引な例えかもしれませんが、下の図をご覧いただき、実際に同じことをやってみてください。
「私はイスから立ち上がって歩けない」と考えながらイスから立ち上がって歩くという、少し奇抜な内容ですが、考えている内容と実際の行為は独立していることを体験できるよい例となります。このことを自分の望む活動を増やす機会に活用するのです。例えば、先ほどあげたスポーツジムに入会し水泳を始める、子どもと過ごす時間をもっと増やすなどの行動について、「始める準備が面倒くさい」「時間がない」「仕事が忙しい」などという考えが浮かびながらも、それらの行動に関係する作業を行うことはできるということです。スポーツジムの情報を集める、子どもと過ごすためにスケジュールを見直すなど、最初は小さな行動から始めると取り組みやすいでしょう。小さい行動をいくつか続けるうちに、自然と習慣が形成され、それらを邪魔する思考が気にならなくなります。
最近、ACTを職場向けのプログラムとして実施するマニュアルが出版され、翻訳もされています3)。筆者は、このプログラムをわが国で使用しやすい形に検討し、介入研究を実施しています。引き続き研究を進めているので、研究協力という形でよいので事業所で実施してみたいと思われる方は、筆者まで連絡いただけると嬉しく思います。
4.まとめ
本コラムでは、思考やストレスと距離をとり、活動を増やすことでいきいきとした生活を送り、メンタルヘルスや仕事の生産性向上につながることが期待される、新しいセルフケアの考え方を紹介しました。こうした方法は、セルフケアだけでなく、管理職等のリーダーシップ開発や、安全教育にも応用されており3)、労働者の行動変容の様々な局面で効果が期待できます。
今後は本コラムで紹介したセルフケアの介入研究を進めてわが国での効果を確認し、労働者が情報入手先として最も期待しているWeb上のコンテンツ4)を整備するなどして、研究と成果の普及を進めて行きたいと思います。
- 土屋政雄. 第31回日本社会精神医学会(東京):コアシンポジウムII「精神疾患の疫学・国民意識調査からみた日本の現状と将来に求められるもの」 労働者における精神障害の有病率と生産性損失. 日本社会精神医学会雑誌 21: 535-540, 2012
- 土屋政雄. セルフケア技法の新しい展開:マインドフルネスによるストレスヘの対応. 産業精神保健 21: 137-144,2013
- フラックスマン 他. マインドフルにいきいき働くためのトレーニングマニュアル 職場のためのACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー). 東京,星和書店,2015
- 土屋政雄 他. 労働者における紙媒体のメンタルヘルス情報の入手経験とその関連要因の検討.労働安全衛生研究 7: 59-66, 2014.[J-Stage]