職場の熱中症対策徒然考(その1)
1.はじめに
今年の夏もとても暑い日が続きました。8月11日には、東京都心は夜になっても気温があまり下がらず、最低気温が30.4度と統計のある過去138年間で最も高くなりました。翌日12日も厳しい暑さが続き、高知県四万十市で国内観測史上最高となる気温41.0℃を観測しました。この暑さを、猛暑、酷暑と呼ぶには不十分、近頃では極暑、激暑という表現まで出てくるありさまです。そうなると、テレビやラジオでは毎日のように、「今日は暑くなるので熱中症に注意しましょう。水分をこまめに摂取しましょう。暑いときには無理な運動や外出は避けましょう。室内にいても熱中症の危険がありますので、冷房を使用しましょう。」こんな注意喚起が朝からひっきりなしに流れています。昔から専門家の間では常識であった暑熱環境下での気づかぬうちの脱水が、あらためて「かくれ脱水」という言葉で報道され、今年の流行語大賞になりそうな勢いです。しかし、そのような注意喚起をあざ笑うかのように、熱中症による救急搬送数が減るどころか増える一方で、今年の7月の救急搬送数は過去最多を記録し、病院の救急外来は大忙しです。
かくして日本の夏は、熱中症対策製品が飛ぶように売れる季節となっています。その手軽さからクールスカーフや冷感グッズが人気商品となっています。そんな熱中症対策クールグッズを着用した人達は、「わあ、冷たくて気持ちいい。これとても効果がありますね。」と例外なくこんな感想をもらします。そのような体感により確かに一時的に暑さを「気分的には」凌げることは事実かもしれません。でもそのことが熱中症予防に本当に有効なのでしょうか。熱中症の危険度を評価する暑さ指数を簡単に計れる廉価な携帯型計測器も出回っています。これらの簡便型計測器は、本当に暑熱リスクを正しく評価しているのでしょうか。水分をこまめに補給することはもちろん必要なことですが、それだけで本当に十分なのでしょうか。そんな疑問をもちながら、巷で現在行われている熱中症対策に対して思う由無し事を、徒然なるままにお話ししたいと思います。
2.暑熱環境をどう評価するか?
「暑さ寒さの評価なんて寒暖計一つあれば充分だろう?」今は昔、退職した職場の先輩に、こうからかわれたことがありました。専門分野こそ違え、労働衛生の研究者ですらそういう認識でした。その当時は昭和の終わりの1980年代で、労働衛生の最重要課題は産業中毒や職業がんなどであり、熱中症は見向きもされない時代でしたから無理もありません。ところが、時代が平成に入りますと、平成6年と7年の夏に猛暑が襲来し、職場における熱中症死亡災害が2年連続で20名を超えたのです。これは業務上疾病による死亡災害としてみると、それまでは酸素欠乏による死亡災害が年にせいぜい10名前後でしたから、尋常ならざる数字でした。そこで労働省(当時)は、平成8年に暑熱環境評価手法は特記しないまま、労働衛生3管理(作業環境管理、作業管理、健康管理)を中心とした熱中症予防対策の通達(8年通達) 1) を出して業界に注意を喚起しました。ところがその後も職場の熱中症や暑熱問題は収まるどころか益々増大したために、平成17年に厚生労働省は職場の暑熱ストレスを評価するのに湿球黒球温度(WBGT)指数(最近日本では、わかりやすく「暑さ指数」と呼ぶようになっています)を活用するよう通達(17年通達) 2) を出しました。ここで初めて厚生労働省は暑さを評価するのに気温だけではなく、湿度、放射熱(いわゆる輻射熱のことです)、風速を加味した「暑さ指数」を導入したのです。
3.WBGTとは
「暑さ指数」とは、気温計、自然湿球温度計、黒球温度計の三つの温度計から、「ある程度」正確、かつ「半ば」定量的に気温、湿度、放射熱、風速を総合的に評価して得られるWBGT(℃)を暑熱指標とするものです。その後平成21年に発出された厚生労働省の通達(21年通達) 3) では、この値に着用する衣服による熱抵抗の補正値を加えた上で、身体作業強度別に許容基準値(この値を超えるといつ熱中症が起こってもおかしくない危険な状態であるので徹底的な対策を行う目安となります)が提示されており、暑熱リスク評価手法としては簡便な割には温熱基本6要素(気温、湿度、風速、放射熱、身体作業強度、衣服の熱抵抗)をすべて考慮しているので、寒暖計に比べればはるかに合理的で信頼性が高いといえるでしょう。
実際、かつて米国海軍がWBGT指数(暑さ指数)を夏期の暑熱訓練の中止基準に気温の代わりに使用したところ熱中症が激減したという歴史的事実があります。このようなことから、WBGT指数は、現在国際的に影響力のある機関(国際標準化機構ISO 4) 、米国政府労働衛生専門家会議ACGIH 5) など)でも採用されている世界的にみても大変ポピュラーな暑熱評価指標となっています。
WBGTは、写真1に示したような気温計(つまり百葉箱の中の自然通風された日陰の空気温度)、自然湿球温度計(濡れたガーゼで温度計をくるんだもの。これで周囲の乾湿の程度と風の影響をみます)、黒球温度計(太陽からの日射や周囲からの照り返しによる放射熱と風の影響を評価します)を用いて得られた値から以下の計算で求めることができます。
屋外の場合
0.7×湿球温度+0.2×黒球温度+0.1×乾球温度
屋内及び日照していない場合
0.7×湿球温度+0.3×黒球温度
4.簡易型WBGT計について
最近計測データのデジタル処理技術が進歩したために、データ取り込みと取り扱いの容易さから自然湿球温度計の代わりに電子湿度計を用いて自然湿球温度を推定する方式が日本では主流となっています(写真2)。さらに黒球温度計付きのWBGT計は高価で一般の方々には購入困難であることを考慮してより温度と湿度からWBGTを推定する簡易計測器が市販されたり(写真3)、日本生気象学会では気温と湿度からWBGTを推定する換算表まで提案しています。これらの簡易計測手法はどの程度正しく暑熱環境を評価しているのでしょうか。
例えば、屋外暑熱環境に対して、換算表を使って気温と相対湿度から推定したWBGTは、自然湿球温と黒球温と気温から実測したWBGTに比べて最大5℃過小評価(いいかえれば、実際よりも5℃低く評価)することがわかりました 6) 。これだけ違うと、本来は安静にしていても熱中症の危険が大きい環境を、軽作業なら大丈夫と間違って判断してしまいます。なぜこんな間違いが起こるかというと、屋外の炎天下では黒球温で放射熱を評価しなければならないのに、気温で代用してしまったからです。気温の定義は、前述のように小学校の校庭にもある百葉箱の中の風通しのよい日陰の空気温度のことをいいます。だから、気温と湿度からWBGTを推定するなら、屋内の太陽照射や照り返しのない場所、すなわち気温と黒球温がほとんど同じ環境でしかせいぜい使えない、ということになりそうです。
では市販の黒球温度計のついていない簡易計測器は信用できないものでしょうか。答えは、必ずしもそうとはいえない「かもしれない」、ということです。確かに構造的にWBGTの測定原理からはずれているので理論的には明らかに正しくありません。したがって、せいぜい屋内の気温と黒球温が等しい環境に限ればなんとかなる「かもしれない」、としかいえないしょう。ただし、それは簡易型の温度計が正しく気温を測定している場合のことです。もしそれが正確な気温でない何かよくわからない周囲の雰囲気温度を曖昧かつおおざっぱに測定しているものだとしたら、その不正確さゆえに正確な気温を測る機器よりはまだ正確なWBGT値に近い値を図らずも推定しているかもしれません。
いずれにせよ、簡易型測定器の場合には、様々な暑熱条件(屋内外、太陽照射や放射熱の有無、風速の有無など)で標準器と比較して測定精度と測定限界を事前に明らかにしておく必要があります(市販の簡易型計測器がすでにそうなっていることを祈っています)。
5.暑熱環境測定手法の今後
前述のように、平成21年発出の暑さ指数を利用した厚生労働省の通達では、人体と環境の熱収支に直結するパラメーターである温熱基本6要素(気温、湿度、風速、放射熱、身体作業強度、衣服の熱抵抗)すべてを考慮していることに大きな意義があります。しかしそうはいっても、あくまで簡便法であり、次回以後にお話しする人体熱平衡モデルに基づいて暑熱リスクを定量的に予測評価する手法ではありません。現場で簡単に暑熱リスクをスクリーニングするための経験的指標なのです。作業者がおかれた暑熱環境で、どの程度の深部体温の上昇や発汗増加があり、許容時間がどの程度であるか、またどの温熱要素(気温、湿度、風速、放射熱、身体作業強度、作業服の熱抵抗)が暑熱リスクの主要な原因であり、どの要素をコントロールするとどの程度暑熱負担が軽減するか、といった定量的分析的見通しを立ててくれません。それは、暑さ指数を利用した平成21年発出の厚生労働省の通達が、一応温熱基本6要素をすべて考慮しているといっても、あくまで経験値にもとづいているからであり、身体熱平衡モデルがその根拠になっていないからです 7) 8) 。
暑さ指数が開発されてから半世紀以上が経過し、地球温暖化による世界的規模での暑熱リスクが増大する現状では 9) 、そろそろ新しい指標でより定量的かつ精密な評価を行う必要がありそうです。そのために期待される指標が、国際標準化機構ISOが提案しているPredictive Heat Strain(PHS)モデル 10) 11) であり、また国際生気象学会とヨーロッパ連合(COST Action 730)が開発し、世界気象機関WMOが後押ししているUniversal Thermal Climate Index(UTCI)指数 12) です。まだ日本ではなじみがないかもしれませんが、これらの暑熱指標の導入の必要性が高まってくることは確実だと思います。いずれも人体熱平衡モデルにもとづいて、気温、湿度、風速、放射温、代謝熱産生量、衣服の熱抵抗を計測し、それらの値を身体熱平衡式に代入することにより、暑熱環境リスクに対する暑熱負担リスク(体温上昇、発汗量、心拍数増加、作業限界時間など)を定量的に予測できることが、暑さ指数との大きな違いです。今後、これらのモデルに改良を加えて日本人への適用妥当性が高まれば、WBGTに加えて新たな次世代の暑熱リスク評価手法として熱中症予防対策に大いに役立つことでしょう。
(参考文献)
- 労働省(1996) 平成8年5月21日付け基発第329号「熱中症の予防について」
- 厚生労働省(2005) 平成17年7月29日付け基発第0729001号「熱中症の予防対策におけるWBGTの活用について」
- 厚生労働省(2009)平成21年6月19日付け基発第0619001号「職場における熱中症の予防について」
- ISO7243(2004)ISO 7243 (1989) Hot environments -- Estimation of the heat stress on working man, based on the WBGT-index (wet bulb globe temperature)
- ACGIH(2012)ACGIH: American Conference of Governmental Industrial Hygienists Heat Stress and Strain TLV
- 澤田晋一(2013) 職場における熱中症対策の5つのポイント:その科学的根拠.安全衛生コンサルタント Vol.33 (No.107) 40-49
- 澤田晋一(2013) 快適温熱環境.小木和孝(編集代表)産業安全保健ハンドブック,p566-569, 神奈川,労働科学研究所
- 澤田晋一(2013) 温熱条件の測定と評価.小木和孝(編集代表)産業安全保健ハンドブック,p590-593, 神奈川,労働科学研究所.澤田晋一(2013)安全衛生コンサルタント
- Tord KJELLSTROM, Shin-ichi SAWADA, Thomas BERNARD et al: Special Issue: Climate Change and Occupational Heat Problems. Industrial Health 2013, 51,1-127
- ISO 7933 (2004) Ergonomics of the thermal environment - Analytical determination and interpretation of heat stress using calculation of the predicted heat strain
- 澤田晋一、上野哲、東郷史治、榎本ヒカル、安田彰典、岡龍雄、呂健、久永直見、山口さち子、Thomas Bernard (2010) 暑熱作業時の必要水分補給量に関する研究. 平成20年度-21年度厚生労働科学研究費補助金 労働安全衛生総合研究事業総合研究報告書
- McGregor GR et.al (2012) Special Issue: Universal Thermal Climate Index (UTCI) Int J Biometeorol 56: 419-555
(国際情報・研究振興センター センター長 澤田晋一)