労働安全衛生総合研究所

特別研究報告 SRR-No.53 の抄録

  1. 帯電防止技術の高度化による静電気着火危険性低減に関する研究
  2. 産業化学物質の皮膚透過性評価法の確立とリスク評価への応用に関する研究
  3. 高年齢労働者に対する物理的因子の影響に関する研究
  4. 健康のリスク評価と衛生管理に向けた労働体力科学研究

帯電防止技術の高度化による静電気着火危険性低減に関する研究

研究全体の概要

SRR-No53-1-0
三浦 崇,崔 光石,遠藤 雄大,丸野 忍,笹原 康平,安田 興平,長田 裕生,鈴木 輝夫,松永 武士,吉原 俊輔,柳田 建三,櫻井 宣文,白松 憲一郎,仲山 朝陽
 静電気が原因となった労働災害の発生件数は製造業が高い割合を占めている。その中でも、火災や爆発に至る災害は死亡災害につながりやすく、静電気災害の防止は重要な課題である。静電気は危険性の可視化が難しく、基本的な対策は製造工程や作業環境を見直すことによる静電気の低減である。本研究では、当研究グループが取り組んできた研究を推進し、低速輸送法、接地法、不活性化などの従来の対策を改良し、新技術を加え、新たな技術指針の策定・普及などにより、帯電防止技術を高度化することが目的である。
 主な研究成果は、可燃性液体に対するフッ素樹脂製配管の高帯電危険性の評価と少量の試料での帯電性評価方法の確立、粒体撹拌や輸送におけるアルゴンガスや減圧による帯電低減技術の検証、ハンディータイプの小型接地確認装置の開発・製品化、可燃性液体および粉体塗料用静電ハンドスプレイ装置の安全に関する技術指針の策定・発行である.

高引火点引火性液体ミストの静電気放電による着火危険性の調査

SRR-No53-1-1
遠藤 雄大,崔 光石
 灯油や軽油のような高引火点引火性液体は、常温下では液面での蒸気濃度が爆発下限を超えることはないが、ミスト状態では引火点以下でも着火することが知られている。近年、高引火点引火性液体のミストが静電気放電により着火したことに起因するとみられる火災事例も報告されているが、火花放電以外の静電気放電によるミストの着火危険性に関する研究はほとんど行われておらず、一般にはその危険性が十分に認識されていない。特に、灯油や軽油のような液体を取り扱う際には、配管内での流動やマイクロフィルタによる濾過時に大きく帯電し、液面と付近の導体との間でブラシ放電等の静電気放電が発生する可能性があることから、これらを点火源とした場合の着火危険性を十分に調査する必要がある。そこで本研究では、国内外で火災事例のある灯油に着目し、粒径約 5 μm のミスト状態での着火エネルギーおよび、ブラシ放電による着火危険性を調査した。その結果、測定された着火エネルギーは従来データよりも小さな値となる 1 mJ 以下であり、ブラシ放電等の静電気放電による着火危険性が高いことが確認された。また、外部電界を用いて発生させた模擬的なブラシ放電を点火源とする着火実験により、灯油ミストが着火することを確認した。以上の結果から、高引火点引火性液体ミストはブラシ放電等の静電気放電による着火危険性があり、十分な対策が必要であることが示された。
キーワード: 静電気,爆発・火災,灯油,高引火点引火性液体,ミスト

液体の噴出帯電に起因する災害防止のための研究

SRR-No53-1-2
遠藤 雄大
 液体の静電気帯電に起因する火災は多く発生しているが、静電気安全に関わる各種指針においても、この種の災害に関する記述は十分とはいえない。液体の静電気帯電現象に着目すると、液体がノズル等から噴出する際に発生する噴出帯電については、筆者の先行研究の結果から、液体の種類によっては、少量・短時間の噴出でも十分に火災の原因となり得ることが確認されているが、そのメカニズムについては十分に解明できておらず、帯電特性、帯電量低減方法などに関する知見は不足している状況にある。これまでに、筆者らは、噴出帯電量が液体の導電率やノズル材料等に依存することを確認してきたが、さらにメカニズムの解明を進めるために、本研究では、顕著な帯電性を示す酢酸エチルと類似の化学的構造を持つ他の酢酸エステルの帯電特性を調査するとともに、従来の対策が適用できない状況下で必要となる、噴出帯電量を強制的に低減する方法についても検討した。その結果、噴出帯電のメカニズムに関する新たな知見を得るとともに、提案する帯電量低減方法が導電率 10-6 S/m 程度までの導電性液体で有効であることを確認した。並行して、任意の液体とノズル材料における潜在的な帯電危険性を簡易的に評価可能な方法を開発し、その有効性を確認した。
キーワード: 静電気,爆発・火災,噴出帯電,引火性液体

空気中静電気放電スペクトルと静電エネルギー線密度との関係 —光学計測による危険性推定の可能性—

SRR-No53-1-3
三浦 崇
 これまでの研究で、帯電させた電極と接地した電極が接近する際に発生する空気中静電気放電において、分光で得られる窒素原子イオンの輝線(N II)と窒素原子の輝線(N I)の強度比が静電エネルギーに依存することが分かっていたが、加えて電圧にも依存することが応用の上で問題であった。本研究では、放電時の電極間距離を測定し、その結果を取り入れて分析した。輝線強度比は静電エネルギー線密度によって統一的に表されることが明らかになった。放電発光スペクトルと放電路の長さを測定できれば、その放電の静電エネルギーを推定できる可能性が見いだされた。
キーワード: 静電スパーク,静電気危険性,放電着火,放電発光分析,金属球ギャップ

不活性ガスを封入した粒体撹拌で発生する静電気の低減方法 —二酸化炭素とアルゴンの比較—

SRR-No53-1-4
三浦 崇
 これまでの研究で、粒体をボトル撹拌する際に発生する静電気を低減する方法として、雰囲気気体をアルゴンガスにすることが提案されている。本研究では、着火や爆発を防ぐための不活性ガスとして広く用いられている二酸化炭素ガスについて、静電気の発生しやすいフッ素系 PFA 樹脂容器を用いた絶縁性粒体の撹拌実験を行い、静電気の発生量についてアルゴンガスと比較した。その結果、二酸化炭素ガスは窒素ガスと同等の静電気発生量であり、アルゴンガスはその 1/10 程度まで静電気を低減することが確認された。静電気を低減できる不活性ガスとしてアルゴンの優位性が示された。
キーワード: 静電気対策,雰囲気気体,アルゴン,二酸化炭素,PFA 樹脂

減圧(1~0.02 気圧)による摩擦帯電の低減現象について

SRR-No53-1-5
三浦 崇
 これまでの研究で、雰囲気の気圧を大気圧の 1/10 程度まで低下させるとマイクロギャップ放電が促進されて正味の帯電量が減少することが知られている。本研究ではこの現象を応用し、ガラス管内を減圧することで粒体が管内を移動した後の帯電がどの程度減少するかを調べた。アルミナ粒体の場合、ガラス管内に封入した空気を減圧するほど帯電量は減少する傾向が見られ、大気圧下で最も帯電量が高かった乾燥空気の場合、大気圧での帯電量に比べて 0.02 気圧ではおよそ 25%程度まで減少した。ステンレス粒体の場合でもアルミナと類似した傾向が見られたが、ソーダライムガラスの場合はそれらとは異なり、減圧するほど帯電量が増す現象も観測され、注意が必要である。
キーワード: 減圧、静電気対策、ガラス配管、マイクロギャップ放電、絶縁性粒体

小型接地確認装置の開発に向けた基礎特性と着火性放電抑制の特性

SRR-No53-1-6
崔 光石,長田 裕生,鈴木 輝夫
 本報は、静電容量による電荷分割方式を基に開発した小型接地確認装置の接地検出と着火性放電抑制性能の定量的評価を行ったものである。小型接地確認装置を使って測定対象の導体の静電容量などを変えた場合の接地検出特性を評価した。また、本装置の先端にある抵抗結合型接触電極を使って着火性放電の抑制性能を検討した。主な実験結果より、今回の測定対象の導体の静電容量が 11-1270 pF の範囲で接地の場合は 0 V、非接地の場合は測定対象の導体の静電容量によって分割された電圧の値となり、接地検出が可能であることが明らかとなった。また、接触電極に接続される抵抗が 50 MΩ 以上であれば着火性放電が抑制された。
キーワード: 静電気,接地確認装置,接地,火災,爆発

産業化学物質の皮膚透過性評価法の確立とリスク評価への応用に関する研究

研究全体の概要

SRR-No53-2-0
王 瑞生,豊岡 達士,小林 健一,柳場 由絵,小林 沙穂,柏木 裕呂樹,須田 恵,鷹屋 光俊,山田 丸,小野 真理子,甲田 茂樹
 近年、芳香族アミン類を使用する化学工場で多数の職業性膀胱がん症例が診断され、また、橋梁などの塗膜剥離作業においてベンジルアルコール急性中毒の事例が相次いて報告された。これらの遅発性健康障害や急性中毒事例では、使用した化学物質の経皮吸収が重要なばく露経路だと考えられる。このような健康障害防止のためには、産業化学物質の経皮吸収性を考慮したより高度なリスク評価の実施が必須である。しかしながら、産業化学物質の経皮吸収に関する知見、特に定量的透過速度ならびに物質間透過性比較データ等の情報は限定的である。その主な原因は現場で使用されている数多くの化学物質の皮膚吸収性を効率的にスクリーニングできる評価法がないことにある。
 我々は、まず、人工三次元培養皮膚(3D 皮膚)を用いた体外(in vitro 試験)皮膚透過性評価手法を確立し、これを用いて産業化学物質の皮膚吸収特性(透過性、蓄積性)を定量的に評価した。取得したデータを基に物質のオクタノール/水分配係数(Log Ko/w)と皮膚吸収特性との関係を解析し、透過時間の予測近似式を導出した。次にヒトの皮膚とよく似ているブタの摘出皮膚を用いた ex vivo 試験で、化学物質の透過性や蓄積性などを評価した。透過時間は 3D 皮膚より長かったが、両者の間に一定の比例関係があることが判明し、in vitro 皮膚透過性評価法の有用性が証明された。さらにオルトトルイジンやベンジルアルコールなどについて実験動物を用いた in vivo 試験で皮膚塗布後経時的に皮膚内、血中、尿中、特定の臓器における濃度変化を測定し、in vitro 法やブタ摘出皮膚評価法での結果との相関や体内動態の解析を行い、産業現場でばく露評価としての生物学的モニタリングについての情報を得た。
 リスク評価には毒性情報も重要であるため、我々は毒性試験の実施や文献調査により毒性情報を収集した。皮膚吸収性の情報と合わせて、改正安衛則の「皮膚から吸収され健康障害が生じるおそれがある物質(皮膚吸収性有害物質)」の選定に活用された。

三次元ヒト培養皮膚モデルを用いた産業化学物質の皮膚吸収・透過・蓄積性評価に関する検討

SRR-No53-2-1
豊岡 達士,柏木 裕呂樹,柳場 由絵,王 瑞生
 昨今、我が国の化学工場において、オルトトルイジン等、芳香族アミン類を取り扱う労働者らに職業性膀胱がんの発生が相次ぎ社会的な問題となった。本事例では、化学物質のばく露経路として、経皮ばく露の寄与が大きいことが明らかとなり、これを契機に産業化学物質の経皮ばく露が注目を集めることになった。一方で、産業化学物質の皮膚吸収・透過・蓄積性に関する知見は限定的である。本研究では、三次元ヒト培養皮膚モデル(3D 皮膚)に着目して、産業化学物質の皮膚吸収性等を簡便に評価できる系を構築し、オルトトルイジンをはじめ、約 30 種類の物質について、その皮膚吸収性等を検証した。その結果、物質の 3D 皮膚における皮膚吸収・透過・蓄積性は、その程度に応じて、いくつかのパターンに分類できることがわかり、この分類には物質の親水性(水溶性)・疎水性(脂溶性)を判断する物質特有の値であるオクタノール/水分配係数(Log Ko/w)が強く影響することが判明した。本研究の結果は、物質の皮膚吸収性等を、Log Ko/w からある程度予測することができることを示すものであり、経皮ばく露が問題となる化学物質のリスク評価において、有用な情報になると考えられる。
キーワード:オルトトルイジン,芳香族アミン類,経皮ばく露, 皮膚吸収性,皮膚透過性,皮膚蓄積性


オルトフェニレンジアミンの皮膚蓄積性とDNA 損傷性に関する検討

SRR-No53-2-2
豊岡 達士,祁 永剛,王 瑞生
 オルトフェニレンジアミン(OPDA: ortho-Phenylenediamine)は染毛剤の成分として使用される重要な芳香族アミンの一つである。これまでに染毛剤を使用する美容師に膀胱がんの発生が多いことは知られていたが、近年、首や頭皮における皮膚がんのリスクが高くなるという疫学研究が報告されている。一方で、OPDA の皮膚に対する毒性影響を検討した研究はない。本研究では、三次元ヒト表皮培養モデル細胞(3D 皮膚)を用いて、OPDA の皮膚に与える毒性影響を検討した。3D 皮膚における OPDA の皮膚吸収性を検討したところ、OPDAは 3D 皮膚に吸収された後, 3D 皮膚内に高蓄積することを見出した。また、皮膚内に蓄積した OPDA は 3D 皮膚細胞に DNA 損傷を誘導することが、リン酸化ヒストン H2AX(γ-H2AX)を指標にした検討により確認された。さらに、この DNA 損傷型は OPDA と DNA が結合する付加体損傷であることを明らかにした。本研究で得られた知見は、美容師の皮膚がん増加を報告する疫学研究の解釈に重要な情報を提供するものと考えられる。
キーワード:オルトフェニレンジアミン,皮膚がん,DNA 損傷性,γ-H2AX,皮膚蓄積性


Ex vivo 及びin vivo における芳香族アミン類の皮膚透過性評価について

SRR-No53-2-3
柳場 由絵,豊岡 達士,王 瑞生
 国内の化学工場で発生した膀胱がん事例に関して、オルトトルイジン(OT)や 3,3’-ジクロロ-4,4’-ジアミノジフェニルメタン(MOCA)を含む芳香族アミン類の経皮ばく露による可能性が関連づけられてきた。本研究では、ブタ皮膚を用い OT と MOCA の皮膚透過性について検討するとともに、動物を用い OT と MOCA の経皮ばく露後の血漿・尿中の濃度変化について検討を行った。実験①:Yucatan micropig から採取された皮膚を皮膚透過性実験に用いた。ブタ皮膚を拡散セルに装着後、14C 標識された OT または MOCA を添加し皮膚透過性実験を行った。試料添加後 1,3,6,8,24 時間後にレセプター液の放射能を液体シンチレーションカウンターで測定した。実験②:雄性 F344 ラット(7 週齢)を用い、OT、MOCA の投与液を塗布したリント布をラットの背中に貼り、ばく露後の血漿・尿中濃度について経時変化を観察した。OT と MOCA は、ともに皮膚浸透性が高いが、OT は皮膚浸透後速やかに血中へ移行し、速やかに尿中へと排泄されることから、皮膚吸収性が速い物質である。一方、MOCA は皮膚浸透性が速いものの、血中への移行と尿中への排泄に時間がかかることから、皮膚吸収性が遅い物質であることが明らかとなった。化学物質の皮膚吸収性に基づいた対策を取ることは、経皮吸収が懸念される産業化学物質の適正な管理に有効な手段であると考えられる。
キーワード:オルトトルイジン,3,3’-ジクロロ-4,4’-ジアミノジフェニルメタン,芳香族アミン類,経皮吸収,皮膚透過,皮膚浸透


ベンジルアルコールの皮膚透過性についての評価

SRR-No53-2-4
王 瑞生,柳場 由絵,須田 恵,豊岡 達士
 近年,剥離剤を使用して橋梁等の塗膜を除去する作業において,作業者に意識障害,死亡事例を含む複数件の中毒事例が立て続けに発生した.現場で使用されていた剥離剤の主成分であるベンジルアルコール,またはその尿中代謝物である馬尿酸が中毒者の血液,尿中から高濃度で検出されたため,ベンジルアルコールの短時間大量摂取が中毒原因であると考えられている.作業中に剥離剤の噴射でベンジルアルコールを含むエアロゾルが大量に発生するため,吸入と経皮のばく露の両方の可能性が考えられる.一方,ベンジルアルコールの皮膚透過性についての情報,特に定量的な指標や他の物質との比較,さらに体内に吸収された後の動態などは,これまでに情報が極めて不足している.そこで,本研究では,ベンジルアルコールの皮膚透過性を三次元ヒト培養皮膚(3D 皮膚),ブタ摘出皮膚及び実験動物を用いて評価し,さらに体内に吸収されたあとの動態の特徴を解析した.3D 皮膚での結果,ベンジルアルコールの T25% (h) (添加した試料の 25%が透過した時間値)は,代表的な皮膚吸収性産業化学物質であるジメチルホルムアミドより著しく小さく,皮膚透過性が非常に高いことが示唆された.ブタ摘出皮膚を用いての評価からも同じような結果が得られた.さらにマウスの塗布試験でもベンジルアルコールが迅速に皮膚から吸収され,脳組織における濃度が血液や肝臓よりも高く,塗布後約 1 時間でピーク値に達した.これらの結果から,ベンジルアルコールは皮膚透過性が高く,脳への移動も早いことが判明した.これらの情報はベンジルアルコールに対する有効なばく露対策の策定や中毒予防に有用であると考えられる.
キーワード:ベンジルアルコール,皮膚透過性, 三次元ヒト培養皮膚,ブタ摘出皮膚, 体内動態


3,3’-ジクロロ-4,4’-ジアミノジフェニルメタンのDNA 酸化損傷に関する検討

SRR-No53-2-5
小林 沙穂,柏木 裕呂樹,小林 健一
 3,3’-ジクロロ-4, 4’-ジアミノジフェニルメタン(MOCA)は、ウレタン樹脂の硬化剤等に利用されており、労働者の健康影響が懸念されている。MOCA の発がん過程には、肝臓をはじめとした各臓器で代謝される際に生じる活性酸素種(ROS)や DNA 付加体による DNA 損傷が関係すると考えられているが、その中でも ROS によって引き起こされる DNA 酸化損傷である 8-ヒドロキシ-2’ -デオキシグアノシン(8-オキソグアニン:8-OHdG)は、高頻度に発生し DNA 複製時の G→T の点突然変異を誘発する。しかしながら実験動物において MOCA が 8-OHdG を誘発するか否かについて知見は少ない。本研究ではラットに MOCA 反復経口投与を行い、肝臓の病理及び 8-OHdGの生成レベルを検討した。その結果、病理所見では 50 mg/kg/日投与群において空胞変性が見られた。8-OHdG の反復経口投与においては、各群において差は認められなかった。以上から、少なくとも 8-OHdG は MOCA により誘発される発がんの主原因ではないと考えられた。
キーワード: 3, 3’-ジクロロ-4, 4’-ジアミノジフェニルメタン(MOCA),発がん,活性酸素種(ROS),DNA 酸化損傷,8-オキソグアニン(8-OHdG)

高年齢労働者に対する物理的因子の影響に関する研究

研究全体の概要

SRR-No53-3-0
柴田 延幸,外山 みどり,齊藤 宏之,高橋 幸雄,時澤 健,佐藤 明彦,上野 哲,山口 さち子,澤田 晋一,久永 直見,赤川 宏幸
 近年、医療の進歩や個々人の健康リテラシーの向上により長寿化が一層進みつつある。さらに、社会保障の切り下げや雇用延長なども予想され、高年齢労働者の人口は増加の傾向にある。それに伴い、労働災害に被災する高年齢労働者も増加しつつある。一方、加齢により生理的機能が変化することは明らかであり、騒音、振動、暑熱などの物理的環境について、科学的根拠に基づく高年齢労働者に対する必要な要件や配慮を明らかにし、改善策を提案することは、高年齢労働者向け職場改善につながるとともに労働災害減少の一助となると考えられる。
 本プロジェクト研究では、騒音、振動、暑熱の物理因子が高年齢労働者に及ぼす諸影響の特徴を明らかにすることにより、作業環境に必要な要件や配慮等の改善策および高年齢労働者がさらされるリスクを評価する指標の提案を検討した。

高年齢労働者の暑熱負担軽減に関する研究

SRR-No53-3-1
時澤 健
 高年齢労働者の暑熱負担を軽減することを目的に、若年者群と高齢者群の体温調節反応の比較(実験1)、および実用的な身体冷却方法の効果検証(実験2)を行った。実験1において、高齢者群 10 名および若年者群 10 名を対象に、WBGT27.0℃,28.5℃,30.0℃,および 31.5℃において 1 時間の軽作業を行った。WBGT27.0~30.0℃においては深部体温(直腸温)の反応に群間の差は認められなかったが、WBGT31.5℃において高齢者群は若年者群より深部体温は有意に高くなった。実験2において、高齢者群8名および若年者群8名を対象に、WBGT31.5℃において 1 時間の軽作業を行った。その際、電動ファン付ジャケットのファンを稼働しない試行(CON)、ファンを稼働する試行(DRY)、浸潤したインナーを着用しファンを稼働する試行(WET)をランダムに行った。両群ともに深部体温の上昇および全身発汗量は CON、DRY、WET の順で有意に小さくなった。高年齢労働者の熱中症予防対策として、軽作業の WBGT 基準値を 1℃下げること、および電動ファン付き作業服着用時にインナーを浸潤させる身体冷却が有効であることが示唆された。
キーワード: 熱中症,深部体温,発汗量,蒸散性熱放散

建設作業に従事する高齢者の暑熱作業における心拍数と暑熱環境の関連性についての研究

SRR-No53-3-2
齊藤 宏之,澤田 晋一,赤川 宏幸
 建設作業者に装着した IoT 接続型のリストバンド型心拍計にて作業中の心拍数を取得するとともに、心拍計からのビーコン信号による作業場所データと、現場の複数箇所に設置した WBGT 測定器の結果より、作業者がばく露されている WBGT 値を推定した。また、作業者に装着した小型カメラまたは作業場に設置したカメラによる動画を解析することにより作業内容・作業強度を推定し、作業強度別の WBGT 基準値からの WBGT 超過度と、心拍数の関連性についての解析を行った。若齢群(40 代以下)12 名、高齢群(50 代以上)8 名の計 20 名から得られた有効なデータを解析した結果、作業強度に基づいた WBGT 基準値からの超過度と、心拍数基準値(180-年齢)からの超過度の関連性において、若齢群(r=0.20)と高齢群(r=0.36)の双方で弱い相関関係が見られ、かつ高齢群の方が若齢群に比べて傾き・切片ともに有意に大きい結果が得られた。さらに、高齢群では WBGT(-)かつ心拍数(+)、すなわち WBGT 値が基準値未満であるにも関わらず心拍数が基準値を超過しているケースが若齢群よりも多く観察され、カイ 2 乗検定でも有意であった(p<0.05)。これらの結果より、今回の研究では対象者数が少ないため限定的ではあるものの、高齢者の熱中症発症リスクが高いことの一端を表している可能性が示唆された。
キーワード: 建設作業,暑熱環境,WBGT,心拍数

高年齢労働者の熱中症災害に関する災害調査復命書による実態把握

SRR-No53-3-3
齊藤 宏之,上野 哲,佐藤 明彦,吉田 謙一
 高年齢労働者における熱中症の実態把握の目的で、当研究所が管理している災害調査復命書のうち、2011~2020 年(2012 年を除く)の計 176 件の熱中症死亡災害のデータを解析した。現段階において、高年齢労働者の熱中症死亡者が多いという傾向は見られていないが、少子高齢化に伴い、高年齢労働者が今後増加することを考慮すると、高年齢労働者の熱中症災害も増加する可能性が懸念される。一方で熱中症死亡災害を企業規模別に解析したところ、10 人未満の零細企業での発生が 84 件(47.7%)とほぼ半数を占め、10~49 人規模の企業での発生が 61 例(34.7%)と合わせると、50 人未満の小規模企業での熱中症死亡災害が 145 件(82.4%)を占めていた。特にこの傾向は建設業で顕著であり、小規模建設業での熱中症リスクが高いことが伺えた。小規模企業で働く高年齢労働者が多いことをあわせて考えると、高齢者の熱中症を有効に防止するためには、小規模な企業における対策を強化する必要があると考えられる。
キーワード: 高年齢労働者,熱中症,労働災害,小規模企業

周波数特性の異なる騒音へのばく露による高齢者の作業阻害に関する研究

SRR-No53-3-4
高橋 幸雄
 高齢者では一般に聴力が低下するために、音による影響が若年者とは異なる可能性がある。この研究では、周波数特性の異なる音を用いて、高齢者の作業阻害への影響を検討することを試みた。被験者は(高齢+聴力正常)群、(高齢+聴力低下)群、若年群の 3 群で、ばく露条件は 4 条件(音無し+3 種類のテスト音)とした。騒音に対する主観的印象の測定では、どの被験者群でも音無しの条件下で最も作業し易いという妥当な結果になったが、PC 作業の処理スピード、正確性については、必ずしも音無し条件が最も良い結果とはならず、また、テスト音の周波数特性との関係でも明確な結果は得られなかった。(高齢+聴力低下)群では、他の 2 群と比較して作業スピードが遅かったが、騒音ばく露の影響とは考えづらかった。作業の正確性についても、テスト音の周波数特性との関係に明確な傾向は見られなかった。このような不明瞭な結果になった原因については今後の検討が必要であるが、一般的なオフィスの範疇に入る音環境であれば、音の周波数特性の違いが高年齢労働者の作業に影響を及ぼす可能性は低いと考えられる。
キーワード:高齢者,作業阻害,聴力低下,騒音,周波数特性

振動障害予備群における初期末梢神経症状に着目した指先振動感覚閾値を援用した新しい指標VPTWの提案

SRR-No53-3-5
柴田 延幸
 振動ばく露作業は技能・体力ともに必要とする作業であることから、60 歳以上の高年齢振動ばく露作業者は若い時から数十年にわたって種々の振動ばく露作業に従事しているケースが大半である。したがって、高年齢振動ばく露作業者の場合、就業期間の長期化によって総振動ばく露時間が増大することにより、経年的な振動ばく露による蓄積性の健康影響が増大することが危惧される。本研究では、長期間にわたって振動ばく露作業に従事している高年齢労働者を振動障害予備群と位置づけ、末梢神経系障害の診断指標の中から指先振動感覚に着目して、新たな振動感覚知覚モデルを構築することにより高年齢労働者の振動ばく露による潜在的健康リスクを評価した。その結果、上昇法によって得られた指先振動感覚閾値と下降法によって得られた指先振動感覚閾値の差によって定義された振動感覚閾値幅(VPTW)は、手腕振動ばく露直後の回復過程において、高齢者非ばく露群および若年者非ばく露群いずれの場合も急性的な影響を受けずほぼ一定であること、高齢者ばく露群の場合は有意に変動することが示された。また、手腕振動ばく露後の振動感覚閾値(VPT)の回復係数は、高齢者ばく露群の場合有意に小さい値となることが示された。これら二種類のパラメータを組み合わせることにより、手腕振動の長期ばく露による高年齢労働者の蓄積性の健康影響と手腕振動発症のリスクを評価できることが示された。
キーワード:振動障害,手腕振動,指先振動感覚閾値,閾値幅,末梢神経症状

新指標VPTWと繰り返し振動ばく露に対する残留TTSを組み合わせた高年齢労働者の手腕振動障害リスク評価の検討

SRR-No53-3-6
柴田 延幸
 手腕振動障害が呈する複合的症状を構成するものの一つに末梢神経系障害がある。これに対して、手腕振動障害が呈する最も象徴的かつ有名な主徴としては手指の白ろう化があるが、これは末梢循環系障害の典型である。近年、末梢神経系障害は、同じ手腕振動ばく露量で手指の白ろう化より 3 倍短い潜伏期間で起こり得るとの報告があった。これにもとづけば、末梢神経系障害の発現の有無とその程度を把握することにより、長期にわたって手腕振動ばく露作業に従事する高年齢作業者に対する蓄積性影響を評価し、振動障害予備群の高年齢労働者の早期発見が可能になると考えられる。本プロジェクト研究では、先行する形で末梢神経障害の診断手法の一つである指先振動感覚閾値測定をもとに新しい指標 VPTW を考案した。本研究では、高年齢労働者の手腕振動障害リスクを評価する際の手法として、新指標 VPTW と繰り返し手腕振動ばく露後の指先振動感覚閾値(VPT)の残留閾値移動を組み合わせることにより、高年齢労働者の長期的な手腕振動ばく露による蓄積性リスクの評価および潜在的な手腕振動障害予備群のスクリーニング手法への有効性の検討を行った。
キーワード:振動障害,手腕振動,指先振動感覚閾値,閾値幅,末梢神経症状

大規模Web調査による物理的因子の高年齢労働者に及ぼす影響評価

SRR-No53-3-7
上野 哲,柴田 延幸,高橋 幸雄,久永 直見
 高年齢労働者は物理的因子(振動、騒音、温熱等)へのばく露による障害が多く発生するという仮説を立て、年齢、性別、職種による各物理的因子のばく露を受ける率(ばく露率)や障害の割合及び対策状況を明らかにするために、労働者を対象に大規模 Web 調査(総数 14,176 人)を実施した。ばく露率は、暑熱(43.8%)、寒冷(33.6%)、騒音(29.3%)、振動(16.7%)の順に高かった。ばく露を受けた人の中で障害が発症する割合(障害率)は、振動(38.3%)、暑熱(26.7%)、騒音(15.7%)、寒冷(12.8%)の順に高かった。職種に関しては、ブルーカラーがホワイトカラーよりもいずれの物理的因子についてもばく露率が高かったが、障害率はホワイトカラーが高かった。暑熱と寒冷は 45-49 歳のばく露率が最も高く、振動や騒音では若年者に高かった。障害率は、暑熱と寒冷で若年ほど高く、振動と騒音は年齢差がほとんどなかった。本 Web 調査では、物理的因子へのばく露による障害が高年齢労働者に多く発生するという仮説は支持されなかった。暑熱対策では、若年者では体温計測やファン付き服の対策実施率が高かったが、高齢者では休憩時間、朝食摂取、睡眠時間、通気性のいい帽子での対策実施率が高かった。また、振動の防振手袋に関しては若年者の対策実施率が高かった。
キーワード: 高年齢労働者,物理的因子,職種

健康のリスク評価と衛生管理に向けた労働体力科学研究

研究全体の概要

SRR-No53-4-0
松尾 知明,蘇 リナ,時澤 健,小山 冬樹,西村 悠貴,甲田 茂樹,田中 喜代次,水上 勝義,日野 俊介
 “病気を予防し元気に働き続けること”へのニーズは、労働者個人、事業場、国、いずれの立場からも今後益々高まることが想定される。この観点から“労働者の体力”に関わる知見を深めることは重要である。“体力”の概念としては筋力など身体機能のイメージが先行するが、学術的には体力を“身体的要素(physical fitness: PF)”と“精神的要素(mental fitness: MF)”の 2 要素で捉えようとする考えが古くからある。本プロジェクト研究では、労働者の体力を「健康を脅かす様々なばく露因子から労働者自身が自らを守る力であり、PF と MF の 2 要素から成るもの」と定義した上で、3 つの課題(①PF 評価の妥当性検証のための介入実験、②MF 評価指標の検討、③データ収集システムの構築)に取り組んだ。
 PF 評価には疾患との関係が特に強いとされる心肺持久力(cardiorespiratory fitness: CRF)を取りあげ、その推定法を検討した。CRF 推定については筆者らの先行研究で質問票や簡易体力検査法の開発研究が進められていることから、本研究課題①では、それらの評価値が実測 CRF の変化にどの程度追随するかを検討する介入実験を行った。課題②では、MF 理論形成のための質的研究(インタビュー調査)や評価指標開発に向けた実験を行った。課題③では、事業場で PF や MF のデータを収集するための、また、収集データの分析結果を健康情報として参加者に返却するための仕組み(WEB サイトやアプリ、サーバー等を連動させたデータ収集システム)を構築した。PF と MF の評価法と構築したデータ収集システムを用いた大規模疫学調査を行うことが今後の課題である。

身体的体力(physical fitness)の評価法に関する研究

SRR-No53-4-1
松尾 知明,蘇 リナ
 身体的体力(physical fitness: PF)の中でも心肺持久力(cardiorespiratory fitness: CRF)は疾患発症との関わりが強いため、労働者の健康を考える上で重要である。本稿では労働者の CRF を簡便、且つ、安全に評価する方法を検討したこれまでの研究を紹介する。最初に開発したのは質問票(Worker’s Living Activity-time Questionnaire: WLAQ)である。WLAQ では 7 問の質問から算出された physical activity(PA)スコアを重回帰モデルに投入することで CRF を推定する。次に JNIOSH step test(JST)を開発した。JST は 3 分間のステップ運動中とその後2分間の座位安静中の心拍数から算出されたJSTスコアを重回帰モデルに投入することでCRFを推定する簡易体力検査法である。大人数を対象とした疫学調査では対象者や検者への負担が少ない WLAQ が有用である。他方、CRF の経時変化を観察する場合は、WLAQ と JST を組み合わせた重回帰モデルを適用する方法が好ましい。しかし、作成した重回帰モデルは高位層の推定値を過小に算出する傾向があるため、補正が必要である。推定値と実測値の経時変化を比較した介入実験では、WLAQ と JST を組み合わせた方法による推定値(補正有)は、WLAQ 単独での推定値より適切に実測 CRF 値の変化を捉えていた。WLAQ や JST の実践法を研究所ウェブサイトで紹介している。疫学調査や健康管理策のツールとしてぜひ活用していただきたい。
キーワード:質問票,体力検査,心肺持久力,重回帰分析

精神的体力(mental fitness)の評価法に関する研究

SRR-No53-4-2
松尾 知明,蘇 リナ,村井 史子,西村 悠貴,水上 勝義,日野 俊介
 体力を“身体的要素”と“精神的要素”の 2 要素で捉えようとする考えは古くからあるが、精神的要素の観点から検討した研究は少ない。本研究では、労働者の精神的体力(mental fitness: MF)を“職務に向き合った際に体躯や神経を発動させるための主観的な精神エネルギー”と定義したうえで、その理論モデルを生成するための質的研究(M-GTA 法によるインタビュー調査)を行い、生成した理論モデルを基に、2 種類の MF 評価法、すなわち、スマートフォンwebアプリシステム(MFアプリ)とOccupational Mental Fitness Questionnaire(OMFQ)を考案した。MF アプリは対象者の日々の感情をリアルタイムで調査するためのシステムであり、OMFQ は対象者が直近数週間ほどの仕事を思い浮かべながら回答する質問票である。続いての被験者実験では、2 つの MF 評価値相互の関係、あるいは、MF 評価値と労働者の心理に関わる既存質問票から得られる情報との関係、MF 評価値とコルチゾールや自律神経活動などの生体情報との関係などを検討している。将来的には、MF 評価法を用いた大規模疫学調査を行い、労働者の MF と疾患発症リスクや生産性などとの関係を明らかにしていきたい。
キーワード:質的研究,M-GTA 法,質問票,メンタルヘルス

体力や身体活動に関わる研究を進めるためのデータ収集システム構築

SRR-No53-4-3
蘇 リナ,村井 史子,松尾 知明
 労働者の健康リスクを考えるうえで体力や身体活動は重要な要素である。我々はこれまでの研究で、労働者の身体的体力(physical fitness: PF)や精神的体力(mental fitness: MF)、座位行動等の評価方法(質問票や簡易体力検査法)を開発する研究に取り組んできた。次の段階としてこれらを用いた疫学調査を予定しているが、企業等で勤務する労働者を対象とした調査を円滑に進めるためには、データ収集の効率化が求められる。そこで、PF や MF, 座位行動等の評価に関連するコンテンツを IT 化し、「質問調査 web システム」、「活動日誌 web アプリ」、「身体活動量分析システム」、「結果返却システム」、「MF web アプリ」、「疫学調査用ポータルサイト」を構築した。これらのコンテンツは、他の研究機関の研究者や企業の健康経営担当者などが活用できるよう公開化を目指し、その準備を進めている。今後は、構築したシステムを活用した疫学調査を進展させ、労働者の健康リスク軽減に貢献したい。
キーワード:CRF, 座位, 身体活動, web システム

刊行物・報告書等 研究成果一覧