労働安全衛生総合研究所

労働者の体力・身体活動に関する研究

1.はじめに


 労働衛生と体力科学の関わりについて、日本体力医学会が発行する「体力科学」誌(1950年創刊)を通じて概観してみますと、時代とともにテーマが移り変わる様子がうかがえ、興味深いものがあります。労働力増大が求められた戦後復興期・経済拡張期には、肉体労働に伴う労働者の疲労を軽減させるための論文が多く掲載されています。その後、産業構造の変化(作業の機械化、自動化)による肉体労働の減少を背景に、"労働に伴う身体活動"に着目した論文が減少していきますが、その一方で、"余暇中の身体活動"に着目した論文が増えていきます。この視点で考えますと、1964年の東京オリンピック・パラリンピックは、日本の経済復興の象徴であったと同時に、体力科学研究においては、研究テーマが移り変わる一つの契機となったようです。
 そして本年(2021年)、再度、東京オリンピック・パラリンピックが開催されました。現在の国内・国際情勢は前回大会時とは大きく異なりますが、折しも日本では、戦後復興期とは異なる事由(少子高齢化による労働人口減少)により労働力増大が求められています。今後の日本では、"年齢に関わらず、活力を維持し、元気に働く"ことを求める声が、労働者個人、事業者、行政それぞれの立場からさらに高まることが予想されます。長く、元気に働ける社会の構築に向け、体力科学の立場から貢献したい、そのような想いを胸に、労働者の体力・身体活動をテーマとした研究に取り組んでいます。

図1 労働衛生分野における体力科学研究

2.労働者の身体的体力(physical fitness)に関する研究


 種々の体力要素の中でも、特に心肺持久力(cardiorespiratory fitness:CRF)は疾病発症に強く関わることが多くの研究で示されています。例えば、様々な危険因子(高血圧、喫煙、糖尿病など)の中で死亡リスクへの影響が最も強いのはCRFであったことを示した研究1や、CRFが1単位(1 MET*)増加すると心疾患発症リスクが15%軽減することを示した研究2などです。しかし、その一方で、著名な国際学会から「多くの危険因子の中で唯一定期健診の項目に入っていないのはCRFである」といった声明3が出されるなど、CRFは疾病予防策として普及していません。その理由はCRF評価の煩雑さにあります。CRFの代表的な評価指標は最大酸素摂取量(VO2max)ですが、その測定のために行われる運動負荷試験は、対象者に高強度運動を求めたり、熟練した測定者や高額な装置が必要であったり、測定時間が長かったりするため、多人数を対象とした評価には馴染みません。このような実状を背景に、私たちは、労働者のCRFを安全、且つ、簡便に評価する方法や、忙しい労働者が時間効率よくCRFを改善する方法を考案する研究に取り組んでいます。これまでの研究により、CRF評価のための質問票4、簡易体力検査法5、体力低位者を対象とした運動プログラム6などを提案しております。 *metabolic equivalent

【開発した質問票(WLAQ)を公開】↓
https://www.jniosh.johas.go.jp/publication/houkoku/houkoku_2020_04.html

【開発した体力検査法(J-NIOSHステップテスト)の紹介】リンク先:Youtube JNIOSH Channel↓



【運動プログラム(J-HIAT)の開発経緯を紹介】リンク先:Youtube JNIOSH Channel↓


3.労働者の精神的体力(mental fitness)に関する研究


 本邦の体力科学研究の黎明期に重要な貢献を果たした猪飼道夫氏は、その著名な書籍「日本人の体力(1967)」7で、"体力には精神と肉体との両者が含まれており、これを全く別々に議論することはあまり意味がない"と述べています。"体力"の概念としては、持久力や筋力など身体的要素のイメージが先行しますが、猪飼氏が唱えるように、体力を"身体的要素"と"精神的要素"の2要素で捉えようとする考えは古くからあります。人が様々なばく露因子から身を守る力には、身体的な要素だけでなく、精神的な要素も必要とする考え方です。特に最近は、うつ病などの精神疾患に罹患する労働者が多い実情に鑑みますと、労働者の体力を身体的要素と精神的要素の両面から同時に検討することは、現代に生きる労働者の健康を守る上で合理的です。しかし、このような考え方は概念的なものに留まっており、科学研究としての知見が深まっているわけではありません。そこで私たちは、身体的体力(physical fitness: PF)と精神的体力(mental fitness: MF)を下図に示すように定義したうえで、この課題に疫学研究の手法を用いて取り組みたいと考えています。PFについては、上述のCRFに関する被験者実験や疫学調査を、MFについては、まずは評価ツール開発に向け、労働者を対象としたインタビュー調査や、スマートフォンアプリやウェアラブル機器を用いた被験者実験に取り組んでいます。

図2 身体的体力と精神的体力の位置づけ

4.労働者の身体活動に関する研究


 本邦では1988年の労働安全衛生法改正によりTHP(トータルヘルスプロモーションプラン)が推進され、その一環として労働者のCRFを向上させる試みがなされました。CRF改善には一定水準の運動(exercise)が必要なため、THPは労働者に運動習慣を身につけさせる試みであったと言えます。しかし、バブル経済崩壊後の景気後退に伴いその活動も勢いを失った面があり、現在に至り、必ずしも成果があったと言える状況ではありません。CRF改善が難しい状況は他国でも同様であり、その打開策として注目されたのが、exercise以外の活動を含む概念である身体活動(physical activity: PA)です。日常生活でPAを高めることが肝要とされ、国際的な推奨値「週あたり150分の中強度PA、または、週あたり75分の高強度PA」8が示されています。しかし、この推奨値を満たすことさえも容易ではない実態が最近明らかにされました9。そして現在、体力科学研究で注目されているのは座位行動(sedentary behavior: SB)です。SBを有害因子と捉え、それをいかに減少させるかを論じた論文が最近、顕著に増えています。
 このように、体力科学分野の最近20~30年間の研究を振り返ってみますと、その着眼点がCRFからPAへ、さらにはPAからSBへと変遷していることが分かります。この変遷は研究の進展でもありますが、見方を変えれば、CRFの改善を見ないまま、あるいはPA増加を実現しないまま、私たち研究者がその関心をより消極的な方向に変えてきたとも言えなくはありません。SB減少が必ずしもCRF改善に繋がるわけではないため、疾病予防策として、SB減少がCRF改善の代替策になり得るのか考える必要があります。私たちは上述したCRFの研究と共にSBの研究にも取り組んでいます。CRF同様、まずは労働者のSBを評価するための質問票を開発10したうえで、その質問票を用いた疫学調査11に取り組んでいます。CRFデータとSBデータを同時に取得・分析することで、それぞれがどのように影響し合い、健康リスクに関与するのかを明らかにしていきたいと考えています。

図3 体力科学研究の変遷

 また、最近、"physical activity paradox"12という概念を北欧の研究者が提唱しています。休日の身体活動が多いことは健康にポジティブに作用する一方で、勤務中の身体活動が多いことはネガティブに作用する疫学研究の結果を論拠としたものです。上述したように、この数年、長時間SBを健康上の有害因子とする研究が増えていますが、ごく最近では、配送センターで働く人や配達員の方々がコンピューターの指示通りに動き回る実態が問題視されています。この問題は経済的格差の観点から論じられたものですが、私たちは、physical activity paradoxの観点からも考えていきたいと思っています。



5.おわりに


 労働者1万人を対象に行った私たちの調査13では、「運動が健康に良好な影響を及ぼす」と認識する人の割合は93%にも上る一方で、運動習慣のある人の割合は30%程に過ぎず、運動をしていない人が運動を習慣化するための条件上位2つは「時間的余裕」と「経済的余裕」でした。その一方で、80%近くの労働者が自身の体力レベルを(簡単に分かるなら)知りたいと考え、運動をしていない人の70%以上の人が"できれば運動習慣を身につけたい"と答えています。運動が健康に良いと頭では分かっていても、日々の暮らしの中でその優先度は低く、実践は難しいこと、その反面、自身の体力レベルに関心のある人が多い実態が窺えます。CRFは人の健康を左右する重要な健康指標であることは上述の通りですし、働き盛り世代のCRF低値が高齢期の医療費増大につながることも最近の研究14で示されています。CRFを健康指標として広く活用するためには、多くの人にその価値を認識してもらう必要があります。簡便かつ適正にCRFを評価できるツールを提供したり、忙しい労働者が無理なく実践できるCRF改善策を提案したりできれば、"長く、元気に働ける社会"の構築に向け、私たちも貢献できるのではないかと思っております。現在、複数の企業と共に従業員の体力や身体活動をテーマとした共同プロジェクトに取り組んでおります。こういった研究にご関心のある方はお気軽にお問合せください。
(連絡先:wlaq@h.jniosh.johas.go.jp

表1 労働者の体力・身体活動に関する意識調査

(参考文献)
  1. Myers J, Prakash M, Froelicher V et al. Exercise capacity and mortality among men referred for exercise testing. N Engl J Med 2002;346(11):793-801.
  2. Kodama S, Saito K, Tanaka S et al. Cardiorespiratory fitness as a quantitative predictor of all-cause mortality and cardiovascular events in healthy men and women: a meta-analysis. JAMA. 2009 May 20;301(19):2024-35.
  3. Ross R, Blair SN, Arena R et al. Importance of Assessing Cardiorespiratory Fitness in Clinical Practice: A Case for Fitness as a Clinical Vital Sign: A Scientific Statement from the American Heart Association. Circulation. 2016 Dec 13;134(24): e653-e699.
  4. Matsuo T, So R, Takahashi M. Workers' physical activity data contribute to estimating maximal oxygen consumption: a questionnaire study to concurrently assess workers' sedentary behavior and cardiorespiratory fitness. BMC Public Health, 20(1):22, 2020.
  5. Matsuo T, So R, Takahashi M. Estimating cardiorespiratory fitness from heart rates both during and after stepping exercise: a validated simple and safe procedure for step tests at worksites. Eur J Appl Physiol, 120(11), 2445-2454, 2020.
  6. So R, Matsuo T. Effects of using high-intensity interval training and calorie restriction in different orders on metabolic syndrome: A randomized controlled trial, Nutrition, 75-76:110666, 2020.
  7. 猪飼道夫,日本人の体力,心とからだのトレーニング, 日本経済新聞社, 1967.
  8. Garber CE, Blissmer B, Deschenes MR, et al. American College of Sports Medicine position stand. Quantity and quality of exercise for developing and maintaining cardiorespiratory, musculoskeletal, and neuromotor fitness in apparently healthy adults: guidance for prescribing exercise. Med Sci Sports Exerc. 2011;43(7):1334-1359.
  9. Guthold R, Stevens GA, Riley LM et al. Worldwide trends in insufficient physical activity from 2001 to 2016: a pooled analysis of 358 population-based surveys with 1.9 million participants. Lancet Glob Health. 2018;6(10): e1077-1086.
  10. 松尾知明, 蘇リナ, 笹井浩行 他. 座位行動の評価を主な目的とした質問紙「労働者生活行動時間調査票(JNIOSH-WLAQ)」の開発, 産業衛生学雑誌, 59(6):219-228, 2017.
  11. So R, Matsuo T. The Effect of Domain-Specific Sitting Time and Exercise Habits on Metabolic Syndrome in Japanese Workers: A Cross-Sectional Study. Int. J. Environ. Res. Public Health 2020, 17(11), 3883.
  12. Holtermann A, Hansen JV, Burr H, Søgaard K, Sjøgaard G. The health paradox of occupational and leisure-time physical activity. Br J Sports Med. 2012 Mar;46(4):291-5.
  13. Matsuo T, So R. Socioeconomic status relates to exercise habits and cardiorespiratory fitness among workers in the Tokyo area. J Occup Health, 2021 Jan;63(1): e12187.
  14. Bachmann JM, DeFina LF, Franzini L, et al. Cardiorespiratory Fitness in Middle Age and Health Care Costs in Later Life. J Am Coll Cardiol. 2015;66(17):1876-1885.

(人間工学研究グループ 上席研究員 松尾 知明)

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