労働安全衛生総合研究所

インドネシア大学医学部からの訪問者Nuri Purwito Adi医師を迎えて
(2016年11月7-8日)

 2016年11月7日及び8日の2日間にわたり、インドネシア大学医学部地域医療科産業医学部門(Division of Occupational Medicine, Department of Community Medicine, Faculty of Medicine Universitas Indonesia)講師であるNuri Purwito Adi医師(以下Adi医師、写真1)を訪問者として迎えました。



写真1 Nuri Purwito Adi医師

 インドネシア大学医学部では国内初となるインドネシア産業・環境健康研究センター(Indonesian Occupational & Environmental Health Research Center)の運営準備が着々と進んでいます。今回、Adi医師はインドネシア政府の要請を受け、その準備活動の一環として来日しました。日本の労働衛生研究の現状を知り、インドネシアの労働衛生研究に寄与する目的で、産業医科大学実務研修センターにvisiting scientist(訪問研究員)として3週間ほど滞在し、森センター長の推薦を受け、当研究所へ訪問することになりました。

 Adi医師は、インドネシア大学で医学教育を終了後、オランダ及びインドネシアの大学院にて公衆衛生学及び労働衛生の修士をそれぞれ取得し、さらに2年の教育・トレーニングを経て産業医学の専門家(Specialist in Occupational Medicine)の資格を有する産業医学の専門の実務者・研究者です。

 当研究所の訪問初日に甲田所長代理を表敬訪問し(写真2)、所長代理が当研究所の組織、役割、歴史、基本方針及び研究領域、行政貢献等についての概要をレクチャーしました。



写真2 甲田所長代理への表敬訪問。左から北條主任研究員(日程等調整)、所長代理、Adi医師、吉川過労死等調査研究センター長代理(訪問統括)、Vigeh主任研究員(写真記録)

 次に、吉川過労死等調査研究センター長代理による「日本における労働衛生関連機関の説明」及び「過労死等調査研究センターの取り組みについて」のプレゼンテーション(写真3左)が行われ、活発な議論が交わされました。

 初日の午後には、当研究所の研究員も参加して、Adi医師がインドネシアにおける産業医学教育、研究及び実践についての講演を行いました(写真3右)。「Occupational Medicine, Education, Research and Practice in Indonesia」というタイトルのこの講演では、はじめにAdi医師が新たに所属するインドネシア産業・環境健康研究センターの概要が説明されました。このセンターは、WHO指定の研究協力センターとして国際的な産業・環境医学教育、研究、そして実践の場としての指導的役割を担うことを目指すという構想があります。


写真3 吉川過労死等調査研究センター代理(左)とAdi医師(右)によるプレゼンテーション

 次に、Adi医師が所属するインドネシア大学医学部地域医療学科産業医学部門の研究が紹介されました。この部門では、現在9つの研究が遂行されています。Adi医師はそれらの研究結果の一部とインドネシアにおける様々な労働衛生における課題を提示しました。

 例えば、作業現場における物理的有害因子の調査研究では、対象職場の騒音のレベルは6事業場のうち5か所、その他の調査では放射線、振動及び温熱等を測定したすべての作業所でTLV(Threshold limit value、許容濃度)を超えていました。加えて、有害化学物質については16事業場の3割がTLVを超えていました。

 また、インドネシアにおける職業性疾患の現状についての報告もありました。例えば、VDT作業者の6割から9割に眼精疲労やコンピュータ作業視覚症候群が見られること、コールセンター業務においては9割近い作業者がストレスを感じ、3割に感情障害がみとめられたとのことでした。インドネシアにおける作業形態の特徴として手工業での作業が多いということが挙げられますが、小麦粉を使用した製造現場でのアレルギー性鼻炎(61.6%)、繊維工場における騒音性難聴(40.3%)、人力運搬作業者の腰痛(12.2 - 59.6%)、ガラス工業における肺機能障害(44.1%)など、作業する環境の改善がまだまだ必要な現状が示されました。そして、インドネシアという国情を濃く反映した、サトウキビ工場の作業者の糖尿病及びサトウキビ肺症や、金採掘の際の純化過程で生じる水銀ばく露の問題も示されました。

 インドネシアの労働衛生の実践報告は、インドネシアの労働衛生活動のすそ野が広がっていることを感じるものでした。インドネシアにおける労働安全衛生関連行政は二つの省、「Ministry of Manpower(人材省(=労働省))」と「Ministry of Health(保健省)」が関与しており、人材省はおもに企業の労働安全衛生に対する法の施行と監督、保健省は労働者に対する保健サービス関連業務を担っています。インドネシアは、総人口2億3756万人に対し、労働者人口1億2120万人(2013年調べ)を抱えています。うち大卒は10%以下であり、小学校教育のみの終了者が50%です。感染症や低栄養も依然として高率で存在します。日本とは異なり、農業・林業・漁業(全体の50%を占める)も人材・保健省の管轄下にあります。職業病に関する公式データは存在せず、労働衛生研究もごく限られた場所でごく限られた数しか行われておらず、実態はまだ把握できる状況ではないそうです。1970年に作業の安全について、作業現場における労働安全衛生チームを作ることなどを盛り込んだ労働安全衛生の規制が施行されました。2003年には、すべての労働者は等しく保護される権利を持つといった法律や2008年に労働者の健康を守るための法律などが制定されています。最後に話題は保険制度に移り、インドネシアでは国民皆保険制度が2014年にスタートしたことが触れられました。国民保険は大きく全国民が対象となる国民健康保険と、労働に関連する死傷・職業病・退職等を補償する労働保険に分かれます。以前の労働保険が労働現場での災害や職業病に対する保障と治療のみだったのに対し、現行は職場復帰までをカバーするものになったそうです。しかしながら、この保険適応の決定に不可欠なOccupational Medicine Specialist産業医学の専門医は労働者1億2千万人に対し、150人であり、島国としてのインドネシアの地理的状況から鑑みても不足しています。現状でまだまだ問題は山積みであることを感じました。

 Adi医師は、今回の来日で産業医科大学及び当研究所での労働衛生研究活動を通じて、研究のマネジメント法を学び、共同研究の可能性を追求していきたいと述べて発表を終了しました。

 施設見学では、粉じん測定の研究室でナノサイズ粒子の測定や東日本大震災後の土壌汚染の除染作業の様子などを鷹屋首席研究員から説明を受け(写真4)、工学棟においては小嶋上席研究員の工場における換気等に関する研究についての説明を受けました(写真5)。

東日本大震災での土壌の除染作業を模した実験写真を説明する鷹屋首席研究員

写真4 東日本大震災での土壌の除染作業を模した
 実験写真を説明する鷹屋首席研究員

プッシュ・プル型換気装置の説明をする小嶋上席研究員

写真5 プッシュ・プル型換気装置の説明をする小嶋上席研究員


 Adi医師によると、インドネシアでは石綿の使用規制が存在せず、安価であることを理由に未だに石綿の使用が続けられていることに加え、他国から輸入しているという現状があるとのことです。そのため、篠原統括研究員による石綿の研究に関しては非常に熱心に聞き入っていました(写真6)。特に、分析透過電子顕微鏡によって他の物質から石綿を同定する方法(元素分析)については強い関心を示していました。Adi医師のいる研究施設に同様の電子顕微鏡はないそうですが、病理部門が所有するものを使用できるかもしれない、と言っていました。他にも数か所の施設を見学し、初日が終了しました。


写真6 分析透過電子顕微鏡で石綿を同定する方法(元素分析)を説明する篠原統括研究員

 2日目の午前中は、時澤研究員による「職場における暑熱対策の取り組み」というタイトルのプレゼンテーションが行われました。インドネシアも作業環境における暑熱については問題が大きく、質疑応答も活発になされていました。

 その後、2日目の施設見学が始まり、松尾・蘇研究員の実験室では、より簡便に労働者の基礎体力を測定する方法を構築するチャレンジに説明を受け、熱心に耳を傾けていました。大掛かりで高価な装置一式を必要とする測定方法では、中小の企業が多く存在するインドネシアで普及することは困難であるため「より簡便かつ安価で可能な方法を模索する研究に期待しています」と両研究員に話していました(写真7)。


写真7 体力測定法を説明する松尾・蘇研究員

 音響振動棟では、柴田上席研究員により数種類の振動測定装置が紹介されました。企業との共同研究で開発された防振手袋を試着して付け心地を確認していました。インドネシアも林業・運送業等に従事する人口割合が少なくないため、振動の健康影響が懸念されているようでした。また、全身振動の測定を簡便にできるポータブルな測定器があるかどうかAdi医師から柴田上席研究員に質問があり、要請に応える形でポータブルの振動計が披露されるという一幕もありました(写真8)。


写真8 ポータブル振動計を手にするAdi医師と説明する柴田上席研究員

 最後に、生物棟に赴き産業毒性・生体影響研究グループのメンバーから、生物棟について、動物実験について、吸入ばく露装置などについての説明を受けて全日程が終了しました。Adi医師にとっては、大変中身の詰まったタフな見学日程となってしまいましたが、最後に「とても参考になりました。今後は共同研究の可能性も含めて積極的な交流を図りたいと思います」との感謝の言葉をいただきました。今後は共同研究の可能性を含めて積極的な交流が期待されます。以上、Adi医師の研究所訪問報告でした。


(産業毒性・生体影響研究グループ 主任研究員 北條理恵子 )
(過労死等調査研究センター センター長代理 吉川 徹)

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