労働安全衛生総合研究所

芳香族アミンの作業環境測定のための分析法の開発研究

1.はじめに


 昨年12月に化学物質の芳香族アミンを取り扱う事業所で、膀胱がんの発症事例が報告されました。テレビや新聞などで大きく報道されていましたので、ご覧になられた方も多いかと思います。
 芳香族アミンは、特定の一化学物質を指すものではなく、芳香族化合物(六角形のベンゼン環)に直接アミン(-NH2)が結合した構造を持つ化合物(例:図1)の総称です。これらは、染料、樹脂や薬品などの原料として用いられており、様々な産業で利用されています。また、芳香族アミンは発がん性が懸念される化学物質であり、その一部は膀胱がんを引き起こす化学物質である事が知られています[1]。
 ここでは、労働衛生における芳香族アミンへの対策と、当研究所で現在行っている研究についてご紹介いたします。


2.芳香族アミンと労働安全衛生法


 労働者の従事している作業に起因する芳香族アミンによる膀胱がん(職業性膀胱がん)はRehn(1895, ドイツ)により最初に報告されました。その後、各国でも発生が報告され、日本においても大井田(1957)や 原(1959)により報告されています。そのため、1972年に労働安全衛生法により、芳香族アミン及び関連物質の4つの芳香族アミン類(ベンジジン、β-ナフチルアミン、4-アミノビフェニル及び4-ニトロビフェニル;図 1)が輸入・製造・使用禁止されています。[2]


図1 輸入・製造・使用禁止されている芳香族アミン類

 また、その他の芳香族アミン(例えば,o-トリジン,ジアニシジン,ジクロルベンジジンや3,3’-ジクロロ‐4,4’-ジアミノジフェニルメタン)については特定化学物質として指定され、健康障害予防のために労働者が化学物質を吸い込むことや、素手で触ることのないように十分な管理対策を行う事が義務づけられています。その際には、作業環境測定を行って作業環境管理や作業管理が効果的に働いているかどうかを確認し、次の対策に結びつけることも求められています。
 特定化学物質として指定されている芳香族アミンについてお話しましたが、指定外の芳香族アミンが必ずしも安全というわけではありません。業務上の疾病としての報告事例が少なかったり、有害性の研究が少なかったりすると、発がん性を始めとする有害性が明らかとなっていない場合があります。丁寧に探せば有害性の報告が見つかることもありますが、現在では安全データシート(SDS)を確認して、あらかじめ化学物質の有害性をある程度知ることが可能になっています。



3.芳香族アミンの作業環境測定と必要とされる分析方法


 作業環境測定とは、化学物質を取り扱う事業場で対象物質の職場環境を把握するため、化学物質の空気中濃度を測定し評価する事で、その後の対策に活用することが可能です。作業環境測定は、図 2の手順で行われます。[3]



図2 芳香族アミンの作業環境測定における分析の流れ

 作業環境では一般環境や食品分析と比較して共存物質の種類が少なく、存在する共存物質が何であるかを多くの場合把握できています。しかし、すべての事業場で同時に取り扱う物質が同じではないので、空気中に共存する物質が、目的とする物質の分析を邪魔するために分析が難しい場合もあります。
 この場合について、HPLCのクロマトグラム(HPLCという分析装置により試料を分析すると測定結果として出てくる図)のポンチ図(図 3)を用いて少し詳しく解説します。HPLCの分析により得られるクロマトグラムの横軸は分析の時間を表しており、化合物の性質によってピーク(山)の現れる時間が異なります。また、縦軸は化合物の検出される強度を表しており、濃度が高い化合物はピークの高さが高くなります。測定する目的の化学物質だけが、図 2の「捕集」「前処理」で準備した溶液中に存在している場合、それが検出されるとピークがクロマトグラムに現れます(図 3-a)。しかし、測定したい化合物以外に同じ様な性質を持つ化合物が試料中に存在すると、図 3-bの様に2つのピークが重なってしまい、それぞれのピークが分けられず、強度がわからなくなってしまいます。この場合が、目的とする物質の分析が邪魔されるために分析が難しい場合になります。今回ご紹介するのは、目的物質だけは見えるが、共存物質が見えなくなるような処理をして分析する方法です。 (図 3-c)



図3 HPLCのクロマトグラムイメージ(ポンチ図)
a–c-1: HPLCで検出されるクロマトグラムのイメージ図、a–c-2: a–c-1で検出される化合物を分かりやすくするため便宜的に色分けした図。
a:共存物質が無い場合、b:共存物質と芳香族アミンが重なっているため、共存物質が分析の妨害となっている。 c: 共存物質がbの図と同様に存在するが検出されず、芳香族アミンのみが検出され、検出感度も向上している。

 一方、有害性は化学物質により異なるため、有害性の高い化学物質は低い基準値で厳しく管理します。そのために、空気中にある微量の化学物質を分析する方法が求められます。実際には多くの事業場で作業環境の測定を行うために、簡便で汎用性の高く、経済的に負担の少ない装置により精度よく高感度に分析する方法が必要になります。 先ほど図3-cで共存物質を見えなくすることをお話しましたが、図3-cのピークを大きくする、すなわち感度を向上させる方法が必要になります。そのようなニーズに応えるため、様々な芳香族アミンを、共存物質の妨害を受けずに、高感度・簡便に分析する方法の開発研究に取り組んでいます。



4.共存物質存在下での芳香族アミンのHPLCによる分析[4, 5]


 では、どのようにして芳香族アミンだけ感度を向上させられるでしょうか。芳香族アミンの作業環境測定にHPLCを用いた場合、蛍光で検出して感度を向上させることが良く行われています。測定したい物質が蛍光を持つ場合はそのまま蛍光検出を行えるのですが、蛍光を持たない場合は蛍光誘導体化反応(蛍光物質を結合させる反応)を行う事が必要となります。ただし、蛍光誘導体化反応の試薬は芳香族アミン以外の化合物(フェノール類や脂肪族アミンなど)にも反応してしまいます。このことは、例えば、芳香族アミンとフェノール類を使用している樹脂工場などでは、それらの物質が蛍光誘導体化を用いる芳香族アミンの分析の妨害物質となる可能性があります。妨害物質を除去しなくても芳香族アミンの測定を可能にするには、選択的に芳香族アミンだけについて誘導体化を行う事が必要となります。そのため、選択的に誘導体化が行える反応条件の検討を行い、定量的かつ高感度・選択的に芳香族アミンのみが検出できるようになりました(図 4)。
 開発した方法は、フェノール類や脂肪族アミン類が反応しない状態になるようにpH等を調整した水溶液に芳香族アミンを含む捕集した試料の溶液を加え、最後に誘導体化試薬を加えて、35℃, 5–10分程度反応させる、溶液を混合するのみの簡便な方法です。この方法を用いると、共存物質(フェノール類や脂肪族アミン類など)が多い作業環境においても、これらの除去を行わずに、芳香族アミン量を定量する事ができます。また、一般的に反応性が高い誘導体化試薬を用いた誘導体化反応では脱水溶媒(水が全く含まれていない溶媒。通常の溶媒は空気中の水分を含んでいる)を使用しますが、今回開発した方法では、高価で取扱いにくい脱水溶媒を用いずに水溶液中で誘導体化するため、一般的な誘導体化方法より簡便に行えます。



図4 芳香族アミンと共存物質の蛍光誘導体のクロマトグラム
 上下の図とも芳香族アミンと脂肪族アミン、フェノール類を含む同じ溶液を用いて、誘導体化反応を行って得られたものです。上図は今回開発した方法で測定した例ですが、芳香族アミンのみ誘導体化反応が起こる条件であるため、3種類の芳香族アミンのみが検出されている一方、それにピークが重なっているはずのフェノール類や脂肪族アミンには誘導体化が起こらず、検出されません。下図はこれまでの一般的な分析方法です。芳香族アミンと共存物質(フェノール類と脂肪族アミン類)の両方とも誘導体化反応が起こっているため、保持時間4分と4分30秒近辺にある芳香族アミンのピークが、共存物質のピークと重なってしまい、芳香族アミンを定量する事ができない状態になっています。

5.おわりに


 科学技術の発展に伴い、新しい化学物質は年々増加し、新たに有害性が明らかになる化学物質も増えています。そのため、健康障害予防に向けて作業環境の測定を行う必要のある物質は増加し、分析が難しくなっていくことが予測されます。これからも、労働者の健康保持に役立つよう、様々な有害な物質の作業環境における測定方法に必要な研究に取り組んでまいります。



参考文献

  1. 発がん性を引き起こす物質等については、国際がん研究機関(IARC: International Agency for Research on Cancer)が発表しているリストから確認する事ができます。
  2. 山村譲, 芳香族アミン曝露に起因する職業性膀胱癌の現状と今後の問題点についての考察. 産業医科大学雑誌, 1989. 11(4): p. 495-504.
  3. 特定化学物質関係–金属類を除く–. 作業環境測定ガイドブック2009: (社)日本作業環境測定協会.
  4. 井上直子, 簡便な蛍光誘導体化反応条件による芳香族アミン高選択的分析方法の開発, 第89回日本産業衛生学会2016: 福島.
  5. 井上直子, 水溶液中での選択的蛍光誘導体化による作業環境測定のための芳香族アミン分析方法の検討,  日本分析化学会 第65年会2016: 札幌.

(作業環境研究グループ 任期付研究員 井上 直子 )

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