粉じんの吸入ばく露による健康障害を評価する
1.はじめに
私たちの身の回りには、破砕、研磨、解体などにより大気中に飛散した「粉じん」が数多く存在します。粉じんは、労働現場では、古くから炭鉱、トンネル建設工事、アーク溶接作業、金属等の研磨作業、鋳物業、採石業等において重篤な健康障害を引き起こしてきました。
これらを踏まえて、粉じんにさらされる作業者の健康を守るため、労働安全衛生法に基づく「粉じん障害防止規則」や「じん肺法」が定められていますが、今も科学技術の進展によって新たな物質が作り出され、それらの物質の吸入ばく露による健康障害の発生が懸念されています。
2.粉じんの吸入ばく露による健康障害
粉じんに限らず、化学物質が呼吸器を介して取り込まれる経路は、数多くの職業性呼吸器疾患や中毒性疾患を予防する上で重要であり、その毒性メカニズム等を解明する必要があります。
ヒトの呼吸器は大きく分けて、鼻腔、咽頭、喉頭蓋、喉頭、気管、気管支、肺(肺胞などを含む。)に分けられます(図1)。少量の粉じんを吸い込んだとしても、呼吸器は粉じんを体外に排出したり体内で処理することによって、粉じんの健康障害から身体を守ってくれています。例えば、くしゃみや咳は体内に入った粉じんを体外に排出する働きの一つです。しかし、多量の粉じんを長期間吸い込むような環境では、粉じんを十分に排出・処理することができず、肺の中に滞留した粉じんが肺胞やその周囲に繊維組織を増やすことで呼吸機能が低下する「じん肺」、発がん性粉じんによる「肺腫瘍(がん)」、粉じんに対するアレルギー反応である「喘息」などが発生します。
粉じんには様々な大きさの粒子があり、空気とともに吸引された粉じんは、その粒径に応じて呼吸器の異なる部位に沈着することが知られています。国際基準であるISO 7708で粉じんは、吸入した場合の呼吸器への到達の程度に応じて「吸引性粉じん(Inhalable convention)」、「咽頭通過性粉じん(Thoracic convention)」及び「吸入性粉じん(Respirable convention)」の3種類に分けられており、粒子は粒径が大きなものは鼻腔や咽頭で沈着するのに対し、粒径が小さいものほど肺胞といった呼吸器の深部まで到達します。「吸引性粉じん」は、大気中から鼻又は口を通って体に取り込まれる粒子を指します。「咽頭通過性粉じん」は、吸引性粉じんの中で咽頭を通過して肺に向かう粒子であり、さらにその中で肺胞まで到達する粒子を「吸入性粉じん」といいます。一般的に粉じんは粒径が小さいものほど肺胞に到達し、じん肺を引き起こしやすくなるため、厚生労働省では平成16年10月1日に作業環境測定基準の一部改正を行い、粉じんの大きさを分ける装置(分粒装置)の特性を空気動力学的粒子径が4 μmの粒子の場合、その50%が透過するものに変更しています。このような基準を策定するためにも実験動物を用いた毒性試験は必要であると考えられています。
なお、日本産業衛生学会では労働現場で問題となる粉じんの許容濃度について表1のとおり勧告しています。
表1. 労働現場で問題となる代表的な粉じん
(日本産業衛生学会、許容濃度等の勧告(2012年度)より一部抜粋)
I. 吸入性結晶質シリカ
許容濃度 0.03 ㎎ / ㎥
II. 各種粉じん
粉じんの種類 | 許容濃度 ㎎ / ㎥ | ||
---|---|---|---|
吸入性粉じん | 総粉じん | ||
第1種粉じん | 滑石、ろう石、アルミニウム、アルミナ、珪藻土、硫化鉱、硫化焼鉱、ベントナイト、カオリナイト、活性炭、黒鉛 | 0.5 | 2 |
第2種粉じん | 結晶質シリカ含有率3%未満の鉱物性粉じん、酸化鉄、カーボンブラック、石炭、酸化亜鉛、二酸化チタン、ポートランドセメント、大理石、線香材料粉じん、穀粉、綿じん、革粉、コルク粉、ベークライト | 1 | 4 |
第3種粉じん | 石灰石、その他の無機および有機粉じん | 2 | 8 |
3.実験動物を用いた粉じんばく露による毒性試験の重要性
粉じんの吸入ばく露による健康障害は、ヒトで実際に発生した健康障害の事例とともに実験動物を用いた毒性試験で評価されています。実験動物を用いた粉じんの吸入ばく露に関する毒性試験には、「吸入ばく露試験」、「気管内投与試験」及び「鼻腔内投与試験」があります(図2)。「吸入ばく露試験」は専用装置に動物を収容し、粉じんを一定期間吸入させる方法です。この試験ではヒトの粉じんの吸入状況と類似した状況を再現することができますが、専用装置が高額であること、大量の粉じんが必要になることなど実施は容易ではありません。
一方、「吸入ばく露試験」の代替試験として利用されているのが、「気管内投与試験」及び「鼻腔内投与試験」です。こちらの試験では麻酔処置を施した実験動物の気管や鼻腔に粉じんを含有した懸濁液を直接注入するため、特殊な装置が不要で吸入ばく露試験と比較して安価で容易に試験を実施することができます。しかしこれらの試験では実施機関で手法が統一されていないために、試験結果の比較ができないといった欠点が指摘されており、試験結果そのものの信頼性が低いとも言われています。
そのため私は現在、「吸入ばく露試験」の代替試験である「気管内投与試験」について投与条件の違いにより呼吸器内の投与剤の分布にどれほどの差異が生じるのかについて検討を行っています。
次に実際のデータを用い、実験動物を用いた「気管内投与試験」の投与条件の違いによる結果の不安定性について紹介いたします。私の研究では、「気管内投与試験」の結果に影響を及ぼす条件を検討し、その条件を統一することによって、均一で再現性のある結果が得られる試験手法を確立することを目的としています。これまでに「気管内投与試験」を実際に行っている研究機関での条件を参考に投与時の体位(0°、45°、90°)、投与器具(胃管用ゾンデ、MicroSprayerR)の条件について検討を行いました(図3)。これらの条件でラットの気管に墨汁を投与すると、それぞれの条件で墨汁の肺への分布が異なり、特に投与時の体位が0°、投与器具が胃管用ゾンデの場合、墨汁の肺への分布が乏しくなることが分かります(図4)。また投与器具については胃管用ゾンデと比較してMicroSprayerRでは墨汁の肺への分布が良好である結果が得られています(図5)。このように投与条件によって墨汁の分布が異なることは、粉じんの健康障害を評価する上で正確な評価ができないことにつながる可能性を示唆しています。
図5. 肺(左葉)への墨汁の分布解析(投与時の体位:45°)
各条件5匹の肺への墨汁の分布を重ね合わせると、胃管用ゾンデと比較してMicroSprayerRでは同じ領域に墨汁が分布している個体が多いことが分かります。
4.最後に
粉じんの吸入ばく露による健康障害は、様々な対策が取られている現在でも依然として労働現場で問題となっている疾病の一つです。これまで実験動物を用いた粉じんばく露による毒性試験は、ヒトで実際に健康障害が報告された後、その影響を再確認するために実施されてきました。しかしながら、粉じんの吸入ばく露による健康障害を事前に予測し対策をとるためには、実験動物の毒性試験の精度や評価方法の検討を行うことが非常に重要です。今回御紹介したような投与条件以外にも「気管内投与試験」の結果に影響を与える因子を確認しており、今後の研究成果が実際の粉じんを用いた毒性試験の統一化、迅速化への一助になればと考えております。
参考資料:
- ISO 7708 Air Quality-Particle size fraction definitions for health-related sampling, 1995.
- 平成16年10月1日厚生労働省告示第368号
- 日本産業衛生学会「許容濃度等の勧告(2012年度)」
- 社団法人日本作業環境測定協会「作業環境測定ガイドブック1 鉱物性粉じん・石綿」
- 中央労働災害防止協会「作業者のための安全衛生ガイド 粉じん作業」
(健康障害予防研究グループ 任期付研究員 長谷川也須子)