労働安全衛生総合研究所

蒲原沢土石流災害と労働安全衛生規則の改正

 平成8年の年末に長野県と新潟県の県境の蒲原沢(姫川の支流)で、大規模な土石流が発生し、砂防・治山工事に従事していた多数の作業員の方が亡くなられれたことは、このメルマガの読者の方も、記憶にあると思います。

 災害は、平成8年12月6日午前10時30分頃発生し、14名の尊い人命が失われるとともに、9名の方が負傷しました。砂防・治山工事というのは、土石流発生危険地域の住民の方を土石流から守るため砂防ダム等を建設するもので、住民の方の生命を土石流から守るため、山間部で、しかも冬期に(砂防・治山工事は、河川の水量が少ない冬期に行われることが多いのです。)作業に従事されていた方が、自ら土石流で死傷されたということは、本当に悲しい出来事です。

 災害発生当時、私は、厚生労働省の計画課で研究所担当をしていましたが、当日急遽、本災害の担当である隣の安全課が現地から入手した情報を分担して幹部に説明し、今後の対応について指示を受ける役割を頼まれました。この一連の工事は、建設省(当時)、林野庁、長野県が蒲原沢の上流から下流までを分割して発注していたため、メインの発注者である建設省からは建設大臣が、労働省(当時)からは労働基準局長をはじめ、本省幹部や担当職員が、その日の夕方には、現地入りしました。

 私の仕事は、その日の幹部への情報伝達で終わり、翌日から本来業務に戻りました。一方、隣の安全課では、本災害の原因究明と再発防止対策を検討するため、信州大学土木工学科の川上教授(当時)を委員長とする災害調査団を編成し、検討作業を開始しました。確か、ヘリコプターによる現地調査を2回行い、雨量や積雪状況、地質等のデータを基に、委員会形式による解析作業が開始されました。

 今回の土石流災害では、直前の降雨量は比較的少なく、原因、とりわけ予見可能性が一番大きなテーマでした。そして、雨量等の予知・予測体制、避難体制等の在り方等について、翌年早々、専門家による議論が開始されました。

 当時、まさか私がこの委員会の担当になるとは思っておらず、他人事のように、当時の産業安全研究所と産業医学総合研究所の組織の見直しに(研究企画調整部門の新設と研究部の再編)取り組んでいました。しかしながら、翌年4月1日付けで、安全課に異動し、この検討委員会の担当になり、正直なところ、重たい荷物を背負い込んだと思いました。

 次回、この検討の概要と検討結果に関する建設省とのやりとり、労働安全衛生規則の改正などについて、お話ししたいと思います。

(理事 高橋 哲也)

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