労働安全衛生総合研究所

上月三郎先生のこと

 今回は前回に引き続き花安先生による産業安全研究の先駆者の話。執筆頂いた花安先生は平成18年3月に当研究所(統合直前の産業安全研究所)を退職して横浜国立大学安心・安全の科学研究教育センターに移られた研究者。本年3月に横浜国立大学を退職されて療養中でしたが、11月26日に逝去されました。本稿は最後の校正を15日に頂いたものです。時空を超えたつながりと研究の推進を心に刻みつつ、御冥福を祈るものであります。

(理事長 前田豊)




元横浜国立大学
安心・安全の科学研究教育センター
教授 花安 繁郎


 阪神淡路大震災一ヶ月前の1994年(平成6)年12月に、私は神戸大学工学部建設工学科において、4年生を対象に「労働災害と安全問題」と題する特別講義をする機会を得た。

 神戸大学より講義依頼があったとき、まず想い出したのが産業安全研究所第6代所長上月三郎先生のことである。先生は、昭和3年に神戸大学工学部の前身である神戸高等工業学校をご卒業され、昭和電工ご勤務の後、昭和10年に母校に戻られ教鞭をとられていた。

 日本で最初に安全工学について教育をした高等教育機関は、神戸高等工業学校である。昭和6年、機械科教授清家正がドイツ留学から帰国すると、ヨーロッパでの経験を基に「工場安全」の講義を設けるようにと学校を進言したことにより開講したのが始まりである。

 やがて、機械科以外の電気科や精密機械科にも同講座を開講し、助教授の上月三郎先生がご担当された。
 昭和17年に厚生省産業安全研究所が設立されたとき、全国から専門家が招聘されたが、その一人が上月三郎先生である。

 私が労働省産業安全研究所に入所したのは昭和45年であるが、丁度その時、所長であったのが上月三郎先生である。当時の私は、研究所に入ったばかりで、安全については右も左もわからない状態のとき、時折、所長自らが研究室を訪れられ、安全に対する考え方や、研究に対する態度など基本的なことを教えていただいたことを、今も有難く感謝している。

 神戸大学での特別講義では、前述の話ののち、「私は、皆さんの大先輩である上月三郎先生から安全に関する薫陶を受け、これまで勉強を続けてきた。今日はその成果を先生の後輩である皆さんに伝えにきた。それが上月先生に対する感謝と御礼を示すものであると思っている。人間は個々にはバラバラに生きているが、どこかで時間と空間を超えてつながっていると私は思っている。どうか、今日の講義をしっかり聴いて欲しい」と結んでから講義を始めた。この前振りが良かったためか、最後まで緊張感を保ち、途中で良い質問を受けるなど、満足する講義を続けることができた。

 こうしてみると、足尾銅山「安全専一」運動の小田川全之や「安全第一」運動の蒲生俊文や三村起一、あるいは伊藤一郎、武田晴爾、上月三郎・・・たちは、近代産業安全運動・研究の礎を築いた人々であるが、同時に、産業安全研究所の礎を築いた人々でもあることが分かる。現在の私たちは、これらの人々が生きた時代と環境を異にしているが、研究所で産業安全研究を志す者にとっては、彼らとはどこかで時間と空間を超えてつながっていると思い研究活動に励んで欲しいと願うものである。

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