10億円を寄付した伊藤一郎
当労働安全衛生総合研究所は平成18年に産業安全研究所と産業医学総合研究所が合併してできた研究所である。両研究所はそれぞれ昭和17年と昭和24年に設立され、ともに労働省附属の国立研究所としての歴史を持つが、今回は産業安全研究所設立に至るエピソードを紹介したい。
昭和15年のある日、2月11日の消印が押された「寄附願い」が厚生大臣 吉田茂に届けられた。発信人は元伊藤染工場主伊藤一郎であり、その内容は「産業界では災害増加の傾向にあるが、産業安全の徹底を図ることは誠に緊要であり、そのためには厚生省附属の産業安全研究所と産業安全博物館を設置することが大切である。50万円を寄付するので研究所と博物館の設置に役立たせてほしい」という趣旨のものであった。寄附願い原文はもっと格調高いものであるが、詳しくは下記をごらん頂きたい。
今の物価は当時の約2,000倍、給料は約5,000倍と言われるそうだが、50万円を換算すると10億円の寄付に相当する。なお、当時労働省や厚生労働省は存在せず、労働安全衛生の所管庁は厚生省であった。寄附願いあて先の厚生大臣 吉田茂は内務省の出身であって、 後に総理大臣を務めた外務省出身の 吉田茂 とは別人である。また昭和15年は皇紀2,600年にあたり、その2月11日(紀元節)は国を挙げてのお祭が行われていたものと想像する。まさにその日を選んでの寄附願いであった。
この申入れを受け、広く産業界等から基金が集められることとなり、44社・団体・名からの1,000円から5万円の寄附が加わって、最終的に110万6千円が集められた。昭和16年2月には官民合同の「安全研究所及附属博物館建設委員会」が設けられ、東京市芝区田町二丁目(現東京都港区芝五丁目)に東京地方専売局焼跡の土地1,800坪を得て研究所と博物館を建築するに至った。
「安全研究所及附属博物館建設委員会」は厚生省労働局長の持永義夫委員長の他、委員15名、幹事5名、書記等6名から構成されていたが、委員には蒲生俊文(多くの功績を持つ安全運動の先駆者。Safety Firstを初めて安全第一と訳した人)、伊藤一郎、清家正(製図論)、北岡寿逸(経済学)、隈部一雄(自動車工学)などの著名な学者が並んでいる。幹事には初代産業安全研究所長の武田晴爾の名も見える。
さて、実はこれまで50万円に目がくらんでその他の寄附は大したことがないように感じていたのであったが、よく考えると5万円は1億円に相当する。最も小口であった1,000円ですら200万円。今日それだけの寄附が集まるとしたら恐ろしいことである。ということで、寄附を頂いた方々のリストを上げ、改めて御礼申し上げたい。また、我が国の産業安全の火が官、即ちいわゆる“お上から強制的に”起こったのではなく、民間から発生したということは決して忘れてはならない。我々はこれを肝に銘じて災害防止を目指し誠心誠意研究に励まなくてはならないのだと思う。
昭和15年のある日、2月11日の消印が押された「寄附願い」が厚生大臣 吉田茂に届けられた。発信人は元伊藤染工場主伊藤一郎であり、その内容は「産業界では災害増加の傾向にあるが、産業安全の徹底を図ることは誠に緊要であり、そのためには厚生省附属の産業安全研究所と産業安全博物館を設置することが大切である。50万円を寄付するので研究所と博物館の設置に役立たせてほしい」という趣旨のものであった。寄附願い原文はもっと格調高いものであるが、詳しくは下記をごらん頂きたい。
今の物価は当時の約2,000倍、給料は約5,000倍と言われるそうだが、50万円を換算すると10億円の寄付に相当する。なお、当時労働省や厚生労働省は存在せず、労働安全衛生の所管庁は厚生省であった。寄附願いあて先の厚生大臣 吉田茂は内務省の出身であって、 後に総理大臣を務めた外務省出身の 吉田茂 とは別人である。また昭和15年は皇紀2,600年にあたり、その2月11日(紀元節)は国を挙げてのお祭が行われていたものと想像する。まさにその日を選んでの寄附願いであった。
この申入れを受け、広く産業界等から基金が集められることとなり、44社・団体・名からの1,000円から5万円の寄附が加わって、最終的に110万6千円が集められた。昭和16年2月には官民合同の「安全研究所及附属博物館建設委員会」が設けられ、東京市芝区田町二丁目(現東京都港区芝五丁目)に東京地方専売局焼跡の土地1,800坪を得て研究所と博物館を建築するに至った。
「安全研究所及附属博物館建設委員会」は厚生省労働局長の持永義夫委員長の他、委員15名、幹事5名、書記等6名から構成されていたが、委員には蒲生俊文(多くの功績を持つ安全運動の先駆者。Safety Firstを初めて安全第一と訳した人)、伊藤一郎、清家正(製図論)、北岡寿逸(経済学)、隈部一雄(自動車工学)などの著名な学者が並んでいる。幹事には初代産業安全研究所長の武田晴爾の名も見える。
さて、実はこれまで50万円に目がくらんでその他の寄附は大したことがないように感じていたのであったが、よく考えると5万円は1億円に相当する。最も小口であった1,000円ですら200万円。今日それだけの寄附が集まるとしたら恐ろしいことである。ということで、寄附を頂いた方々のリストを上げ、改めて御礼申し上げたい。また、我が国の産業安全の火が官、即ちいわゆる“お上から強制的に”起こったのではなく、民間から発生したということは決して忘れてはならない。我々はこれを肝に銘じて災害防止を目指し誠心誠意研究に励まなくてはならないのだと思う。
(理事長 前田豊)
寄附金(円) | 会社名 | 代表者名(敬称略) |
---|---|---|
500,000 | 伊藤一郎 | |
50,000 | 三井鉱山(株) | 川島三郎 |
50,000 | 日本製鉄(株) | 中松眞郷 |
50,000 | (株)住友本社 | 住友吉左衛門 |
40,000 | (株)日立製作所 | 小平浪平 |
30,000 | 王子製紙(株) | 高島菊次郎 |
30,000 | 日本窒素肥料(株) | 野口遵 |
30,000 | 日本鋼管(株) | 白石元治郎 |
20,000 | 東洋紡績(株) | 庄司正吉 |
20,000 | 鐘淵紡績(株) | 津田信吾 |
20,000 | 日産化学工業(株) | 田中栄八郎 |
10,000 | 日立造船(株) | 六角三郎 |
10,000 | (株)白洋舎 | 五十風健治 |
5,000 | (株)中山製鋼所 | 中山悦治 |
30,000 | 川崎重工業(株) | 鋳谷正輔 |
10,000 | 昭和電工(株) | 鈴木忠治 |
5,000 | 松下電器産業(株) | 松下幸之助 |
1,000 | 元日本労働総同盟製鋼組合長 | 三木治朗 |
10,000 | (株)武田長兵衛商店(現武田薬品) | 武田長兵衛 |
10,000 | (株)久保田鉄工所 | 久保田権四郎 |
20,000 | 東京芝浦電気(株) | 山口喜三郎 |
15,000 | (株)神戸製鋼所 | 田宮嘉右衛門 |
20,000 | 大日本紡績(株) | 小寺源吾 |
50,000 | 三菱重工業(株) | 斯波孝四郎 |
10,000 | 大日本セルロイド(株) | 西宗茂二 |
10,000 | 日本染料製造(株) | 稲畑二郎 |
8,500 | 日本土木建築業組合連合会 | 会長 原孝次 |
3,000 | 大倉土木(株)(現大成建設) | 会長 原孝次 |
3,000 | (株)清水組 | 社長 清水康雄 |
3,000 | (株)大林組 | 社長 大林義雄 |
3,000 | 竹中工務店 | 社長 竹中藤右衛門 |
3,000 | (株)間組 | 会長 小谷清 |
3,000 | (株)鹿島組 | 会長 鹿島精一 |
3,000 | (株)西松組 | 社長 西松三好 |
3,000 | (株)銭高組 | 社長 銭高久吉 |
3,000 | (株)飛島組 | 社長 飛島繁 |
3,000 | (株)熊谷組 | 社長 熊谷太三郎 |
1,500 | (株)戸田組 | 社長 戸田利兵衛 |
1,500 | (株)安藤組 | 社長 安藤徳之助 |
1,500 | (株)島藤(昭和62年戸田建設と合併) | 社長 島田藤 |
1,500 | (株)鴻池組 | 社長 鴻池小六 |
1,500 | (株)松村組 | 社長 松村雄吉 |
1,500 | 合資会社西本組(現三井住友建設) | 代表社員 西本健次郎 |
1,500 | 日産土木(株)(平成15年りんかい建設と合併) | 社長 宮長平作 |
1,000 | 佐藤工業(株) | 代表取締役 佐藤久雄 |