有害物質評価のための動物実験代替法—線虫を用いた有害性評価の展開—
1. はじめに
産業化学物質による事故を未然に防ぐために、災害調査による事故の原因究明、動物を用いた有害性試験研究、疫学などの人間集団を対象とした分析、コンピューターアルゴリズムを用いた情報解析など、様々な側面から化学物質の危険性や有害性の理解をすることが現在進められています。この中で、動物を用いた実験は3Rの原則(Refinement(苦痛の軽減)、Replacement(代替法の利用)、 Reduction(動物利用数の削減))にのっとり適正に実施することが法律で義務付けられています(動物の愛護及び管理に関する法律 第41条)。法律の上では、「実験動物」とは哺乳類、鳥類、爬虫類の動物が該当します。近年、神経科学の研究が進み、様々な動物で一部類似した脳神経回路の働きにより恐れや不安などの情動が生まれることが分かってきており[1]、実験動物が感じる苦痛を極力減らすことが必要とされます。
2. 生物個体を用いない有害性評価試験
化学物質の有害性を理解するための方法として、生きた動物個体の代わりに生体分子や培養細胞を活用するin vitro試験法と呼ばれる手法があります。これらの試験結果の一部は化学物質の有害性分類、すなわちGHS(化学品の分類及び表示に関する世界調和システム;The Globally Harmonized System of Classification and Labelling of Chemicals)における分類の判断基準に用いられています [2]。例えば、タンパク質を含有するゲルにより皮膚を模倣した膜(膜バリア)を用いた皮膚腐食性評価試験では、膜バリアを透過する化学物質を定量することで、化学物質ばく露による皮膚の損傷を評価します [3]。表皮由来の培養細胞を用いた皮膚感作性試験では、化学物質ばく露後の免疫応答を細胞の遺伝子発現解析などで評価します [4], [5]。細菌や哺乳類細胞を用いた変異原性試験では、DNAの突然変異や染色体の構造異常をそれぞれ細菌の増殖能や染色体の顕微鏡観察で調べ、化学物質の遺伝毒性を試験します [6], [7]。
3. 動物実験代替法における課題
上記の例のように、動物実験を代替するin vitro試験法の多くは、分子生物学や、細胞生物学、遺伝学などの分野の研究より明らかになった生体構成分子の機能や細胞内で働く分子機構に基づいています。これまでにDNA損傷や皮膚障害などの特定の分子や細胞・組織に対する有害性試験は動物実験代替法の開発が進んでいますが、動物実験の代替が困難な試験法もあります。生物個体を死に至らしめる急性毒性や、肝機能や生殖能など特定の生体機能の低下をもたらす臓器毒性、発がん性などは、生体システムの複雑性や細胞内のみならず細胞間で働く分子機構の関与により、生体分子や単一種の細胞を用いたin vitro試験法では毒性試験の代替が困難な場合があります。そこで、生物個体や臓器レベルの有害性評価が可能な新規手法の開発や複数の代替法試験の結果を統合して評価する手法の考案が進められています。その一つとして、私たちは線虫を用いた有害性評価手法の研究に取り組んでいます。
4. 研究に用いる線虫について
私たちは体長1mm程の微小な線形動物であるCaenorhabditis elegansという線虫(図1)を用いて、化学物質の有害性試験研究を開始しています。線虫C. elegansは非寄生性であり野生では主に腐った根や果実などに生息していますが、古くから生物学分野のモデル動物として世界中の研究室で飼育され研究に用いられてきました 。日本においても線虫研究者コミュニティが作られるなど、活発な研究が進められています [8]。線虫を用いた研究により発生や、行動、寿命などの様々な生物現象に潜むしくみが分子、細胞のレベルで明らかにされてきました。近年では、薬理学や環境科学など、生体外分子と生体システムとの相互作用の研究にも有用なモデル動物となっています。

図1 微分干渉顕微鏡により撮影した線虫Caenorhabditis elegans
体が透明なため各器官(主要な器官を示した)が観察できる
5. 線虫を用いた有害性評価手法
これまで労働衛生の研究分野において、線虫を用いた研究は殆ど報告がありませんでした。私たちは、線虫に産業化学物質をばく露し、その有害性を定量化する手法を報告しました [9]。この手法では、まず線虫に化学物質をばく露し、寒天プレートに移して1分程その動きを撮影します(図2A)。次に、画像解析により線虫の動いた跡(重心の移動)を測定し、単位時間辺りに移動した距離(移動速度)を計算します。そして、化学物質ばく露に伴う移動速度の変化を指標に化学物質の毒性を評価するという流れです。下の図において、化学物質ばく露により移動速度が低下する様子を示しました(図2B)。
図2 行動試験における線虫の様子と運動の軌跡
(A)寒天プレート上を動く線虫(B)約1cm四方の範囲を50秒間に移動した線虫の軌跡を個体ごとに異なる色で示している。各軸は座標を示す(単位はµm)。化学物質ばく露群(右)は未処理群(左)と比較して単位時間辺りの移動距離の低下がみられる。
この手法を用いて30種の有機溶剤の線虫の運動能に対する毒性を解析したところ、有機溶剤の脂溶性と線虫への有害性に正の相関があることが分かりました。同様の現象は、ヒトへの麻酔薬の作用など多くの生物で報告されており、生物に共通した有機化合物の毒性作用の一端が観察されています。この線虫を用いた有害性評価手法は簡便で高スループット、低コストなため、産業化学物質をはじめ種々の化学物質の毒性作用の包括的解析が可能です。今後、化学物質の有害性作用の種間保存性、例えば哺乳動物と線虫への毒性作用における共通性や差異など更なる研究を重ね、生物個体への有害性評価に有用な手法として確立していきたいと考えています。
6. おわりに
線虫は卵から成虫まで3~4日程で成長し、成虫は2~3週間程生きることができます。化学物質ばく露の影響を発生過程、成長後の活動(運動、感覚応答、生殖行動など様々)、寿命など多くの視点から解析できます。消化器官、神経系、筋肉、生殖器官などの生存に必要な各種器官をもつため、特定の器官や細胞種に特徴的な毒性作用が捉えられる可能性があります。また、大きな利点として、生体内で起こる分子機構の解析手法が確立しているため、化学物質を作用させた際に生体内で起こる毒性作用機序の分子レベルでの理解に有用です [10]。今後の研究により、化学物質の有害性の理解、それに基づいた労働者の安全性確保や生態環境の保全に貢献していきたいと思います。
参考文献
- Anna D Zych, Nadine Gogolla (2021) Expressions of emotions across species, Current Opinion in Neurobiology, Vol.68, 57-66. https://doi.org/10.1016/j.conb.2021.01.003
- 経済産業省:GHS分類ガイダンス https://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/int/ghs_tool_01GHSmanual.html(2025年10月1日閲覧)
- 経済協力開発機構(OECD)テストガイドライン TG435 https://www.nihs.go.jp/hse/chem-info/oecd/tgj/tg435rj.pdf (2025年10月1日閲覧)
- 経済協力開発機構(OECD)テストガイドライン TG442D https://www.nihs.go.jp/hse/chem-info/oecd/tgj/tg442dj.pdf (2025年10月1日閲覧)
- 経済協力開発機構(OECD)テストガイドライン TG442E https://www.nihs.go.jp/hse/chem-info/oecd/tgj/tg442ej_180625.pdf (2025年10月1日閲覧)
- 経済協力開発機構(OECD)テストガイドライン TG471 https://www.nihs.go.jp/hse/chem-info/oecd/tgj/tg471rj.pdf (2025年10月1日閲覧)
- 経済協力開発機構(OECD)テストガイドライン TG473 https://www.nihs.go.jp/hse/chem-info/oecd/tgj/tg473rj.pdf (2025年10月1日閲覧)
- 虫の集い(線虫研究者コミュニティ)https://plaza.umin.ac.jp/wormjp/wordpress/ (2025年10月1日閲覧)
- Masahiro Tomioka (2025) High-throughput assessment of the behavioral responses to toxic organic solvents in Caenorhabditis elegans, PLoS One, Vol.20, No.4, e0311460. https://doi.org/10.1371/journal.pone.0311460
- Ann K. Corsi, Bruce Wightman, and Martin Chalfie (2015) A Transparent Window into Biology: A Primer on Caenorhabditis elegans, Genetics, Vol.200, 387-407. https://doi.org/10.1534/genetics.115.176099






